<< 真 愛 母 子 犬 >>
 
我子を想う母犬の愛は海よりも深い。
母を想う子犬の慕情は海よりも深い。
真実の愛と慕情を、この目で見てきた。
真実の愛と慕情を、心の深奥に刻んできた。
 
世間では簡単に母犬から子犬を奪う。
母と子は、ある日突然に生き別れとなる。
幼い子犬は、ある日突然に異世界に送られる。
それがいったい、どういう意味なのか??
その意味を考える人は少ないだろうと思う。
ただ単に「子犬の社会性」とかの問題だけではない。
そういう観点で観るだけでなく、
母子犬の真実の愛を知って欲しいのだ。
真実の愛を簡単に引き裂くことの非情を。
なんの哀憐も感じずに引き裂くことの無情を。
そういう行為を世間は平気で行なっている事実を、
よくよく考えてみて欲しいのだ。
もし自分が母犬だったら。もし自分が子犬だったら。
それを我が身に置き換えて「感じて」欲しいのだ。
そうすれば、ことの重大さに気づいてもらえるはずだ。
そして動物商売の倫理も形態も変わってくるはずだ。
そして犬を迎える家庭の飼育観も変わってくるはずだ。
 
保護した犬が出産する時には、一緒の部屋で寝起きした。
私は出産というものを、最初から最後まで見届けてきた。
出産の前から、そして子犬達が大きくなるまで、
ずっと一緒に彼らと同じ部屋で寝起きをともにした。
仕事を終え、他の犬達の世話を終え、母犬の部屋に帰宅する。
いよいよ出産が始まる。一晩中に亘り一大事は続く。
最後の頃には、母犬は精根尽き果てる。
大袈裟ではなく、ほんとうに母犬は、精根尽き果てる。
「犬のお産は軽い」などと人は言うが、とんでもないことだ。
その苦しみを、犬は独りで黙して耐えているだけなのだ。
犬は黙して耐えているから、人には苦しみが見えないのだ。
しかし精根尽き果てながらも、母犬は使命を全うする。
誰からも教えられていないのに、
絶妙の神業で生まれた子犬を次次に見事に世話する。
疲労困憊の身体で。精根尽き果てた身体で。
私は見守るしかなかった。見届けるしかなかった。
それは神聖極まる命の一大事なのだ。
母犬は己の命を懸けて使命を全うしようとしている。
だから私は、ただただ見守り、そして見届けた。
しかし母犬の一大事は、まだまだ続く。
子犬が無事に離乳するまで捨身の世話が続くのだ。
母犬は自らの身体を削って母乳に変えていくのだ。
母犬の血と肉と骨から母乳は造られるということだ。
どれほど栄養満点な食事を充分に食べても、
それでも母犬が痩せていくということは、そういうことなのだ。
だから野良犬の母犬の壮絶な苦しみを想像できるはずだ。
私は母犬の究極の愛の姿を見てきた。
子犬達の純真極まる慕情を見てきた。
だから全員が永遠の狼山家族である。
 
私は破滅すれすれの人生を続けてきた。
だが真実の愛を、心の深奥で見ることができた。
犬達の愛を知り、愛の偉大さを知ることができた。
いかに生活は苦しくとも、微塵も後悔していない。
この山には、いつも愛の讃歌が鳴り響いている。
<<母子犬の写真は一杯あるので少しだけ載せてみます>>
 
イメージ 1
「真愛母子犬 1997」
 
イメージ 2
 
イメージ 6
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:12:05 ≫