<<狼犬ロウ>>
20年前、子狼犬のロウを引き取りに行った。
ロウの元オーナーの代理人の闘犬師と、
高速道のインターで待ち合わせした。
その場所に着くと、ゴツイ連中が待っていた。
闘犬師と数人の若者達が、
太い針金でグルグル巻いたケージを前にしていた。
ケージをなおかつ、厳重に針金で巻いてあるのである。
若者の一人は、腕を包帯で巻いて肩から吊るしている。
その光景を見ただけで、ロウのことは察しがついた。
要するに、人人はロウに「お手上げ状態」だったのである。
そしてまた、それまでのロウの境遇が容易に想像できた。
子狼犬ロウは、毅然と人間達に「抵抗」してきたのだ。
人間に屈従することを拒んできたのである。
つまりロウは、「犬寄りの狼犬では無い」ということだ。
ひと口に狼犬と言っても、まさに千差万別で様様なのだ。
もし仮に「馴致し易い狼犬」がいるとしたなら、
その狼犬の内面は「限りなく犬寄り」なのである。
しかしそういう狼犬ばかりでは無い。
その内面が「狼に近い」狼犬も出現するのである。
人間には容易に屈従しない狼犬も出現するのである。
おそらくそういう個体は、冷酷無残に淘汰されるだろう。
狼犬ファンは、そういう裏側は知っているのだろうか?
狼犬ファンは「誰にでもフレンドリー!」などと自慢するが、
そういう傾向を求めるならば、「犬」を飼うべきだと思う。
なぜわざわざ狼犬を求めるのか全く理解できない。
なぜ人間に屈従しない精神を「悪!」だと見なすのか?
屈従しない崇高精神こそが狼族の真骨頂だと言うのに。
狼族からそれを外したら、それは狼族では無くなるのだ。
それなのに、なぜ「誰にでもフレンドリー」を求めるのか?
どう考えても、それは「都合のいい話!」にしか思えない。
闘犬師と若者達が、私の行動を無言で注目していた。
彼らは興味深深のようだった。視線は痛いほどだった。
彼らもまた「スペシャリスト」の矜持で看板を背負っている。
「闘犬というものの是非を外した目で見れば」ということだ。
私は闘犬試合などに微塵も「闘いの美学」を感じないのだ。
≪因みに海外のデスマッチ闘犬は残酷無残極まりない≫
私は闘犬試合に微塵も「闘いの美学」など感じないが、
しかし闘犬師は、そんじょそこらの「犬ベテラン」とは訳が違う。
そういう意味では、彼らはつまり「知っている」のである。
そこらの犬ベテランよりも、はるかに「知っている」のである。
彼らはつまり、そういう立場の目で私の行動を注目していた。
闘犬師から「咬みます」と忠告された。「分りました」と答えた。
私は彼らに挨拶を済ませると、静かにケージに近づいた。
そして針金を解き、ケージを開けて、瞬間にロウを抱き上げ、
そのまま車に戻り、後部座席にロウを乗せた。
そしてそのまま運転席に座って車を発進させた。
彼らは深深と一礼し、皆で私を見送ってくれた。
その姿に彼らの心情が現われていた。
私も深く一礼し、その場を走り去った。
ロウは、途轍もなく強烈に人間を拒絶した。
ロウにとっては私も人間だから警戒の塊りである。
私はロウを部屋に放した。そして私は中央に坐った。
ロウは嵐の如くに私の周りを回り続けた。
それを延延と止めない。延延と速歩で回り続ける。
「これは想像以上に長期間を要する」と覚悟した。
「時間」もまた、絶対に重大な要素なのだ。
ロウの部屋に水と食料と寝床を置き、
彼をゆっくりと休ませることにした。
今はただ静かに休ませることが最も重大だった。
ロウは「三角飛び」をやるので、
つまり「高く飛んで窓を蹴って着地する」ので、
すぐさま全ての窓を外して頑丈な鉄網に変えた。
ここの冬は氷点下20度世界なのだが、
窓が無ければ外気温と同じになってしまうのだが、
そんなことは言ってられない。ロウの安全が第一である。
その後の数年間の冬は、私は凍死手前生活だったが、
もちろんロウは全く寒く無い。彼にとっては快適環境である。
毎日毎日、私は中央に坐り、野性禅に入った。
ロウは三角飛びで跳躍しながら周りを回り続けている。
そういう毎日が延延と続いた。
ただし回る速度が、だんだん遅くなっていった。
だんだんだんだん、ゆるやかに回るようになったのだ。
そして「顔付き」も、随分と変わってきた。
途轍もなく頑なな厳しい表情が、少しずつ解けてきた。
実はロウの頑なな心を解いてくれたのは、「ルウ」である。
ルウはロウよりも2ヶ月ほど前に保護した子野犬である。
とても賢くて優しい天使のような子野犬のルウが、
頑ななロウの心を解いてくれたのである。
そして我我は真の家族となり、
皆で一緒の布団で眠る毎日を送るようになった。
ロウとルウにピッタリと挟まれて眠るので、
それで私は凍死を免れたようなものである。
今はもうロウもルウも他界していない。
だが彼らの魂は、今もこの山に、いつでも帰ってくる。
ほんとうは、昔の写真を見るのは辛いのだ。
あまりに深いその日日を、想い出すと泣けてくる。

確か1993年くらい。引き取って1年くらいの頃だと思う。
ロウは雄のG・シェパードくらいの体格だから、
さほど大型狼犬では無いが、気性は狼を濃く受け継いでいた。
見た目は犬に似るが、アゴと牙は犬とは全然違う頑丈な密度だ。
もちろん、ひと言も「ワン!」とは吠えなかった。
ロウの顔は素晴らしく穏やかになった。
天使のルウとは、まさしく兄弟である。
ルウもまた、悲しい生い立ちの子野犬だった。

2006年5月。お客様と我が家族たち。ほかにも家族は大勢いる。
我が家族たちは、鋭い感覚で人を見抜く!!
右上が「ルウ」。天使のルウは皆と仲良し家族だ。

2003年。後方に見えるのが「ロウ」。10歳くらいの頃。
手前は「左:茜:akane」と「右:猛:takeru」。
茜は生後5ヶ月くらいの頃。猛は5歳くらいの頃。
茜もまた保護犬。この当時は茜は私と一緒に部屋にいた。
これは、茜と猛の「初対面!」の光景である。

左は「椿:tubaki」。椿は茜の姉妹。一緒に保護した。
椿は野性が強い。普段は静かで控え目だが強い気性を秘めている。

後方のロウは、皆を見守っている。
ロウやオーランがいる頃は、ここには森の熊たちも近づかなかった。

今は茜も10歳半を超えた。茜の精神は立派に立派に成長した。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:11:22 ≫