<<犬の闘争//己の心気力 :01>>
大勢の犬達と暮らすとき、
「犬の闘争」のことを知らねばならない。
「闘争は起こり得るもの!」だと心得るべきだ。
とにかくそれを「予防」することが重大だ。
「起きるはずが無い!」と呑気に構えてはならない。
もし闘争が起これば、それを分けることは難しいのだ。
そして強力犬であるほど、分けることは至難となるのだ。
だからこそ「予防」というものが重大至極なのである。
「しつけ」を入れれば闘争は防げる・・などど考えたら甘い!
闘争は、必ず何かが「きっかけ」となって始まるが、
何が引き金となるかを洞察できる人は少ないだろう。
洞察できる飼主ならいいが、できない飼主が多いだろう。
そうなれば、闘争はいつでも起こり得るのである。
それが広いフィールドならば、
互いに「間合い」を置いて闘争も自ら未然に防ぐのだが、
狭く限られた空間だと、その「回避」ができないのである。
「回避ができない状況」だということを、飼主は知るべきだ。
それが「いつでも起こり得る!」と肝に銘じておけば、
だんだん洞察力も高まっていくはずである。
ここで言う「分ける」というのは、
「両者のダメージを最小限に抑えて分ける」という意味だ。
「ただ離せばいい!」というレベルの意味では無いのだ。
そういう意味で「難しい」ということである。
両者のダメージを最小限に抑えて分けるには、
「両者を同時に離す!」ことが鉄則だ。
片方だけを離して抑えれば、さらに危険な事態になる。
もう片方から片方が逆襲を受けて、
犬達は離す前より大きな怪我になることもあるのだ。
だからあくまでも「同時に離して距離を空ける!」ことだ。
「両者を同時に離して距離を空けておく」ことが鉄則だが、
それを「一人」で実行するとなると、相当に困難だ。
当然の話だが、強力犬同士の闘争なら至難となる。
「分け方」は、人によって様様だろうが、
とにかく「両者のダメージを最小限度に!」である。
そのためにはどうしたらいいのか?なのである。
だから当然、「蹴ったり!叩いたり!」は大問題だ。
だいいち「蹴ったり叩いたり」しても全く無意味である。
そして「無闇やたらと引っ張る」ことも無意味である。
それどころか、逆に怪我を大きくするばかりである。
そんなことをしている暇があるのなら、
もっと肝心なことをするべきなのだ。
その「肝心なこと」というのは、説明が難しい。
文章で書くと長くなるので手短に凝縮して書く。
その両者を、極限まで集中して一瞬に深く見る。
そうすると、その場面に於ける「分け方」が見える。
それを即座に果敢に実行するのである。
無我夢中の底力で己の最大の威力を発揮するのだ。
それしかほかに犬を大怪我から救う道は無いのである。
「極限の集中力と果敢な覚悟」が唯一の道なのである。
そうすると、自分の怪我も最小限度で済むことが多い。
中途半端に躊躇しながらでは、逆に自分が大怪我する。
もちろん両犬とも極度に興奮状態なのだから、
仲裁者が全くの無傷で済む保障は無い。
もちろん犬達に悪気は無いのだが、
「仲裁者を咬もう」などとは思っていないのだが、
近くに来た「手」を、邪魔だと感じる瞬間はある。
その時、その手を仲裁者だとは思っていない。
その手は単に「妨害物」であり、仲裁者では無いのだ。
そこら辺の「犬の心境」を知っておくべきである。
あるいは、そういうことではなく、
手に犬の牙が当たる場合もあるし、少しだけ入る場合もある。
少しだけ入っても「咬まれた!」と感じる人は多いだろうが、
それは咬まれたのではなく、牙が入っただけである。
だから驚くことはない。そんなことで驚いてはいけない。
そこで驚いたら、自分の怪我はもっと大きくなる。
私は調練者時代も含めて幾多の闘争を分けてきた。
当時は何十頭もの強力犬達を一人で引き受けていたが、
もちろん常に最大の配慮をしていたが、
それでも闘争が起こってしまうことはあるのだった。
私は一度たりとも「蹴ったり叩いたり」はしなかった。
あるいは水を掛けたり火を近づけたりもしなかった。
あるいは実戦ピット試合の場合は、
「三角の杭」のような道具で口を抉じ開けるようだが、
もちろんそんな真似はしなかった。アゴや口筋も傷つくだろう。
私はいつも「肩に二本の手綱を襷がけ」にしていた。
手綱は犬の首を絞め込まないように「止め」を施す。
たとえば柴犬クラスならば素手だけで分けられたが、
中型以上になれば「引き離しておく」ことは難しくなるので、
両犬の首に綱を掛け、両側に斜め上方に瞬間に引き上げ、
そして興奮が鎮まるまで両者を引き離すのだ。
犬が咬み込んでいたら、
その口が「僅かに弛む瞬間」を絶対に見逃さない。
その瞬間以外に、二度とチャンスは無いのである。
その瞬間に一気に両側の斜め上方に引き上げるのだ。
絶対に失敗は赦されないから、渾身の力を爆発させる。
自分に潜在する力の全てを、その一瞬に爆発させる。
そうやって実際に幾多の闘争を分けてきた。
ただしこの場合は大きな腕力と肩力が必要となる。
なにしろ興奮した時の犬の力は凄いのだ。
それは人人の想像以上の力なのである。
二本綱と全くの素手の場合は、だいたい半半くらいだった。
素手の場合は、いろんな方法があるが、
口吻の上側を片手で握って分ける場合も多い。
ただし「握力」は絶対に必要である。
その握力の感触で、犬は「我に帰る」ことも多いのだ。
その握力を通して、こちらの意志を伝えるのである。
しかし上手く口吻を掴むことは、なかなか難しい。
だからこそ「極限の集中力!」で臨むのである。
しかしいずれにせよ、多少の怪我は最初から覚悟の上だ。
これまで無数に怪我もしてきたが、自力で回復した。
肝心なのは、「流水で深くまで充分に洗浄する」ことだ。
消毒などというよりも、とにかく「洗浄」が大事なのだ。
私はいつも水で洗浄するだけだった。それだけで回復した。
傷が深く大きい場合は、固く包帯で傷口を固定する。
あまり大傷の時は縫ったこともあったが、
だいたい包帯固定で傷は癒合していくものだ。
ただし人によって「回復力」は違うだろうから、
その人の回復力に合わせた治療がいいだろう。
犬は闘争時には極度に興奮している。
その興奮を鎮めることは相当に難しい。
それを鎮めるには、己の「心気力!」である。
その心気力については「02」に書く予定だ。
そしてもうひとつ重大なことがある。
犬は真に信頼する仲裁者を「立てる」ということだ。
犬は仲裁者を立てて、自ら闘争中止を選ぶ場合も多い。
犬達は「立てる!」という仁義を知っているのである。
だから「鍵」となるのは、
その人が「いかに信頼されているか!」なのである。
あるいは「いかに瞬時に信頼されるか!」なのである。
足早に書いたので推敲もしていないが、
とりあえず当時を思い出して書いた次第である。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:11:13 ≫