<<愛犬散歩・臨機応変>>
 
<< 心友の訓練士の「ジプシーさん」のブログより。>>
「 犬 の 散 歩 」
リバーとクサバはもう歳なので、さすがに散歩は
ゆっくりのんびりです。
でもルビーは元気いっぱい。
もうすぐ10才ですけど、軽やかです。
散歩を誰よりも楽しんでいるのがわかります。
右に行ったり左に行ったり、
かなりのスピードで私の前を歩くので、私も速歩になります。
「あとへ、つけ!」なんて言わない(笑)
だって本当にルビーは楽しそうだから。
ただし、匂いはあまり嗅がせません。
トイレをする時だけです。
「人の左につけて歩く、人の膝と犬の肩が並ぶくらいが理想・・」
もちろんそれが基本です。
うちの犬たちも何かあった時には「あとへ」と言えば、ちゃんと付きます。
ただ散歩の時にまで常に「ついて、ついて」と言われて犬は
楽しいでしょうか?
基本訓練はあくまでも基本。
犬を守るためのものだと思います。
例えば、犬やネコを見た時の急な飛び出し、
道路への飛び出し・・
人への飛びつき・・
呼び戻し・・
それらを一喝で制御出来るようにするのが基本訓練です。
犬に教えるというよりも、一番は飼い主さんの心得、気持ちです。
犬のどこを見ているのか、どうしたいのか・・
どこを許すのか・・
犬とどういう関係を作りたいのか・・
飼い主さんの意思がなければ、犬は不安になるだけです。
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ジプシーさんのこの記事を読むと、
どうやら誤解している飼主が多いことが分かる。
片や「引っ張り回される」飼主が居るかと思えば、
片や場面を問わずガチガチに最初から最後まで、
「つけ!あとへ!」を厳命する飼主も居るらしいのだ。
ほんとうに「極端」な実態である。
それは「自然体」から懸け離れている。
どこに「臨機応変」があるというのか。
個性に応じて、状況に応じて、
「ゆるす」という大度量も飼主には必要なのである。
「ゆるす」ことを知らない人は、犬を知らないということだ。
「ゆるす」ことを知らなければ、対話など不可能である。
それどころか、いつか必ず限界を迎えることになる。
ただしこの「ゆるす」という意味は深いので、
その意味については書くと長くなるので、また改めて書くことにする。
※この狼山ブログの過去記事に「散りばめて」書いてあるのだが。
 
ジプシーさんが言うように、
もちろん「基本!」は重大である。
基本の修得は絶対に不可欠である。
しかしそれは普段は隠れていてもいい。
それが核心にあるのならば、
普段は隠れていてもいいのだ。
ジプシーさんが言うように、
ここぞの時には「一喝!」で、
瞬時に基本態勢に入ればいいのだ。
それは可能なのだ。臨機応変は可能なのだ。
その修得こそ飼主の課題であり任務である。
ただし臨機応変と言っても、
飼主の「ダラダラちんたら・・」は禁物だ。
いくらリラックスした状況であろうと、
身体と精神の軸心は起動させておくのだ。
ここがポイントなのである。
いくらリラックスした状況でも、
犬は「見ていないようで見ている」のである。
彼らは無意識に本能深くで見ているのである。
軸心休眠では、いざという時の「一喝!」が効かない。
一喝は効かずに、不測の事態に発展するのである。
たとえば野性界では、「リラックス」はあっても、
「ふにゃふにゃダラダラちんたら」は無いのである。
たとえそう見えても、実はそうでは無いのである。
そのボスの心身の軸心は起動しているのである。
そこら辺を分かっていない飼主が多いようである。
それが人間同士なら、それで済むかも知れないが、
かりにも「犬」という異種族と暮らすのだから、
そこら辺は肝に銘じておくべきなのである。
 
巷に出回る「しつけ!」の講釈には、
たとえば「狼の群れ」が一例に出されるが、
従狼達は絶対にボスより前を歩かないとか、
そういうことを書く人も多いようだが、
実際には「狼の群れ」というのは臨機応変である。
時には「先行任務」の狼もいるのである。
あるいは「ソリ犬のチーム」も一例に出されるが、
実際には先頭がボス犬とは限らないのだ。
先導犬は「リーダー犬」とも呼ばれるが、
それとボス犬は意味が違うのである。
もちろんボス犬が先導する場合もあるが、
先導犬とボス犬が違う場合も多いのである。
 
野性達は「石頭!」では無いのだ。
「俺様!俺様!」などと虚勢を張らないのだ。
そこに厳粛な掟は無言で潜んでいるが、
普段の彼らは臨機応変なのである。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:11:11 ≫