<<愛犬手綱心境地>>
今から約50年前、私の愛犬はブルドッグだった。
小学1年の私は、毎日毎日ブルと散歩した。
英ブルは極短吻なので途中で休ませながら行くので、
途中でブルの首をマッサージしてあげるので、
それで毎日のように学校を遅刻した。
当然ながら先生から叱られるが、
当然ながら弁解などできない。
犬の散歩で遅刻するなど理由にならないことが、
さすがに子供心にも分かっていたからだ。
それでも散歩は続けた。それが自分の愛の証だった。
今でもあのブルとの散歩は、ありありと憶えている。
ブルと私の絆は、永遠に輝き続ける。
:YOUTUBE:で「アメリカン・ブリー」の動画を観た。
この動画のハンドラーの小さな女の子!!
この小さな女の子は、とても上手だ!!
1分10秒あたりも、なんとも見事に格好いい!!
上手というか、彼女の心境地が素晴らしい。
私はハンドラーの「心境」を見る。
その心境を見ながら動作を見ている。
心境を見れば動作の意味が深く理解できる。
動作だけを見ていても、その真意は分からない。
だからいつも彼らの心境!を深く見ている。
この女の子の動作だけを見ていると、
腰が泳いだり引けたりしているようにも誤解するだろう。
だがそうではない。彼女の真意は別の領域にある。
その別の領域が、姿勢や動作に現われるのである。
その別の領域を理解できれば彼女の高度レベルが分かる。
それにしてもブリー達も可愛い!!ブル独特の可愛さだ!!
私は彼らの心境も、ありありと分かる。
彼らの心境が、どういう境地なのか、ありありと分かる。
そして最後の方の「ゴツイ男達」の場面心境も分かる。
彼ら二人も、「よく分かっている」人達である。
ショー・ハンドラーとは引き方は違うが、
彼ら二人はブリーを「よく分かっている」人達である。
この場面での彼らの心境は「真剣」である。
「空いた右手」にも、その真剣が現われている。
「真剣」というのは、やはり美しいものである。
「アメリカン・ブリー」というのは、おそらくブル系ファンが、
「自分の好みのブル!」を目論んでブリーディングした犬だろう。
アメリカには、そのような「ブル系」が一杯いるのだ。
だからもはや「犬種がどうの」という領域では無い。
それぞれの「自分の好みのブル!」なのである。
もちろんピットブルも「ブル系」に入る。
その名は「闘技場のブルドッグ」なのだから。
アメリカンブルドッグも、もちろん「ブル系」である。
そういう「ブル系」たちが、一杯いるのである。
そもそも「ブルドッグ」というのは、
元元から、いろんなタイプがいたのである。
ただしもちろん、彼らは「躍動できるブルドッグ」だった。
「英ブル」をブルドッグ!だと認識している人が多いようだが、
英ブルは、元元のブルドッグとは異なり、完全な家庭犬である。
そして極めて特異な好みを無理やり具現させられた犬である。
普段の日常生活上の機能さえも犠牲にさせられた犬である。
英ブルから較べれば、この「ブリー」は、そこまで極端ではないようだ。
口吻を見れば分かるが、英ブルほど極端な短吻ではない。
※今や「ブル系」に闘技を求める人は少ないはずだ。
ブル系に闘技を求めれば、様様な面で矛盾が起こる。
その矛盾問題を理解することが不可欠に重大だ。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:11:05 ≫