<<愛犬生活//深静境地>>
犬は、その人の「オーラ」を見る。
見ていないようで、実は本能深くで見ている。
どんな人間よりも犬には確実に「オーラ」が見える。
「オーラ」とは、術で得られるものでは無い。
心の姿勢そのものが「オーラ・エネルギー」となるのだ。
だからつまり、犬はその人の心の姿勢を見ている。
これは、ほんとうの話なのだ。
犬との暮らしは、そういう世界なのである。
ほんとうは犬は、不調和な気配を嫌う。
落ち着きのない浮ついた不調和気配を嫌う。
たとえば「明るく!楽しく!躍動に満ちた!」その奥にも、
確固として揺ぎ無い「深静」の核柱が求められるのだ。
ただ「楽しく賑やかに!」だけでなく、
その奥には揺ぎ無い深静境地が求められるのである。
※あるいは邪な強欲に塗れた濁った気配も嫌う。
※あるいは澱んで停滞した暗く陰気な気配も嫌う。
だからそういう不調和気配の環境では、犬は混乱してくる。
だんだんだんだん、犬は本来を保つことが難しくなる。
犬は本来を保とうと努力するが、周囲はそれに気づかない。
犬の努力は報われず、結局は犬が悪者にされるのだ。
悪者にされて、そしてついには飼育放棄されるのだ。
よく「しつけ!しつけ!」と叫ばれるが、
その前に、こういうことも知っておくべきなのだ。
こういうことを知らない人が多いことは、大いに問題なのだ。
そして犬との暮らしに於いて、
飼主は深静境地というものを心得ておかねばならない。
もしも切迫危険事態に遭遇した時には、
それを飼主が体得しているかどうかで事態は別世界になる。
今まで切迫危険事態に遭遇したことの無い飼主は、
そういうことには無関心に呑気に構えているだろうが、
もしもそれに遭遇すれば、何も対処できずに終わるだろう。
それに対処するための唯一の道は、深静境地体得である。
このブログでは、ずっとそういうことを書いてきたが、
そういうことに関心を示す人は実に少なかった。残念である。
あるいは不調和環境によって本来の己を失い、
たとえば「危険が引き出されてしまった犬」は存在する。
本来ならば「引き出されてしまう」ことは無くて済むのに、
飼育環境を著しく誤ると、そういうことが起こり得るのだ。
その犬を見事に危険犬に変身させてしまうのである。
よく本などには「初期に服従訓練を徹底し」などと書かれているが、
その「・服従・」という意味を間違って解釈する飼主も多いのだが、
それを間違って解釈した場合にも「危険」を引き出すことになる。
「服従」の意味というものは極めて難しいのだが、
その「深意」を理解していない飼主が多いのである。
その犬に眠る闘志に火を点けてしまう場合も多いのだ。
一旦荒ぶる闘志に火が点けば、その興奮は鎮まり難い。
その興奮を鎮めることは至難と呼んでもいいほどだ。
もしそれが強力犬であれば、当然ながら危険度は高まる。
だから「そうならないように!」真摯に飼育すればいいのだが、
そうなることなど想定できない鈍感な飼主が多いのである。
実に様様な要因で「危険が引き出される」ことになるが、
危険を引き出されてしまった犬の対処は相当に難しい。
それが強力犬であればあるほど、その対処は困難になる。
鍛錬体重で「25kg」を超える雄の強力犬の興奮した力は凄い。
よく犬を知らない人は、たかだか「25kg??」と思うだろうが、
25kg付近を超えていけば、素手の人間は対処至難になる。
大の男でも素手丸腰ならば抑えることすら至難となる。
≪≪本場の実戦ピットブルは、だいたい「25kg」くらいである≫≫
つまり「力づくで」どうにかしよう!などということは無理である。
己が大怪我になっても全然平気!というなら話は変わってくるが。
しかしたとえば腕に本気の牙の一撃を受ければ、
その腕は瞬間に、まるで麻痺したように動かなくなる。
その犬の咬力にもよるが、強力犬ならばそうである。
もしそこで犬に首を振られたら、どういうことになるか??
ただ「切れて血が出る」という怪我のレベルとは違うのである。
そして人間というものは痛みに弱いから、戦意喪失となるのだ。
雄の強力犬の実力というものは、人人の想像以上なのである。
そういう切迫危険事態では、己が「深静境地」に入るしかない。
たとえそれが通用しなかったとしても、
それでも、それしかほかに道は無いのである。
いずれにしても、ほかに道は無かったのである。
だが充分に通用する場合は多いのだ。
その通用度合いは、深静境地のレベル次第だと言える。
だからこそ、その境地を不断に高めていくのである。
犬達と暮らしていくということは「求道!」なのである。
本来ならば求道なのに、そんなことを考える人は少ないだろう。
そんなことを真摯に考えれば「変人!」だと思われるだろう。
だが実際には世の中で、多くの問題が起こっているではないか。
犬との暮らしに於いて、様様な問題が起こっているではないか。
それは犬との付き合いを甘く見ているからだ。
あまりにも気楽に気ままに呑気に鈍感なスタンスだからだ。
それは固く肩肘張って不自然に付き合うという意味では無い。
自然体を貫きながら真摯に求道するという意味だ。
犬との暮らしは、どこまでも求道なのである!!
そして犬は、その人の求道精神をリスペクトするのだ!!
もし危険を引き出されてしまった犬がいたとして、
その精神を元に回復することは容易では無いが、
それを回復させられるのは、その人の深愛求道精神である。
その犬の精神は深愛求道精神に感銘して回復していく。
その犬の精神は、感銘して癒されていくのである。
徐徐に徐徐に。だんだんだんだん。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:11:01 ≫