<< 断 食 山 >>
 
前記事「狼山食」では食事のことを書いたが、
今日は「断食」について少しだけ書いてみる。
近頃は世間でも断食が注目されているようだが、
その効果に関心が寄せられているようだが、
断食には確かに大きな効力が秘められている。
身体と精神の両方へと大きく働くのである。
身体と精神は直結しているから当然なのだが。
断食の効果を最も簡単に言えば、
「心身の潜在力を呼び覚ます」ということか。
心身の潜在力を呼び覚ますということは、
日常生活に於いては、なかなか難しいことなのだ。
断食も度が過ぎれば日常生活に支障をきたすだろうし、
それこそ栄養失調になってしまうだろうが、
自分の身体に可能な範囲であれば効果を発揮するはずだ。
 
ところで「断食」と「絶食」という言葉があるが、
どちらかと言うと断食は「意志」を現わし、
絶食は「状況」を現わしているような気がする。
私は昔は経済事情から頻繁に絶食生活となった。
大勢の犬達の食事が最優先だから、
自分の食糧を買う金が残らない日が多かったから、
だから必然的に絶食の事態となったのだ。
最も逼迫していた時期は月に10日くらい食わなかった。
今は昔ほどでは無いが、それでも何日かは絶食となる。
今は昔ほど連続した数日以上の絶食では無いから、
だから「断食」などと言う言葉は自分では使わないのだが、
世間の感覚では二日や三日でも「断食」と呼ばれるようだ。
僅か一日でも「プチ断食」などと呼ばれているようである。
そして断食道場や断食体験教室が流行っているらしい。
そしてそこでは断食だけに専念できるようである。
日常の日課を続けながらの断食は厳しいものだから、
初心者の方は専念できる形の断食がいいかも知れない。
だが本当の空腹の状態で日常の日課を続けると、
さらに深く断食境地というものが実感できるはずである。
しかし人それぞれに心身の個性が違うから、
基礎体力も人それぞれに大きく異なるから、
自分に可能な形で断食を試してみればいいと思う。
ただし甘え姿勢で臨めば効果は得られないだろう。
ところで断食道場や断食体験教室などでは、
いろいろと事細かに繊細に指導されるようだが、
終了後は流動食のようなものから戻していくらしいが、
現代の人人の胃腸は、相当に繊細なのだろう。
私は一週間の絶食後でも普通に食うが全く問題無い。
ただしこれは私個人の一例だから真似されても困るが。
 
断食すると、身体と精神が何かを思い出す。
身体と精神に眠っていた何かが呼び起こされる。
身体と精神が本来の感覚を取り戻すような感じになる。
もしも世俗の雑念に囚われて悩みだらけの人ならば、
それがいかに余計で余分な思考だったか分かるはずだ。
いかに余計で余分な思考に塗れてきたか分かるはずだ。
それを実感してそれに気づけば、本来の力が蘇るのである。
余計で余分な雑念思考が、如何に「力」を阻害しているか。
それが如何に自分の潜在力を閉じ込めてしまっているか。
そういうことを身体と精神の両方で実感できるはずである。
最も簡単に言えば、「シンプル」へと回帰できるのだ。
「シンプル」というのは、つまり深く透明な状態のことだ。
深く透明な状態こそが、最も「力」を発揮できるのである。
だからこれは「ハングリー」という意味とは全く違う。
ハングリーを通り越して、「シンプル」へと突き抜けるのだ。
そしてもちろん、断食すれば身体も軽くなる。
もちろん実際に体重も減っていく。
食わなければ体重は減るのである。
そして内臓諸器官を休養させることができる。
身体内部も深静の状態で休むことができるのだ。
身体と精神の両方が、ともに深静境地に入るのだ。
そしてまた断食を自分で体験していけば、
野生動物達の全身全霊が分かるようになる。
彼らがどれほど渾身の力で生きているかが分かる。
彼らの精神が人人の想像を超えた領域だと分かる。
彼らを見る目も、彼らへの姿勢も、変わるはずだ。
断食は動物達に対する認識も新たにするはずなのだ。
 
ところで「犬たち」にも絶食の日は必要だ。
我家では週に一日二日は絶食の日を設けている。
彼らは絶食によって身体内部の調子を整えるのだ。
「静かに調子を整える日」というものが必要なのだ。
のべつ幕なしに「ごはんよ!おやつよ!」では、
彼らの身体は調子を整えることができないのである。
≪・・それが発育期の未成犬ならば話は別だが・・≫
犬たちは人間よりも絶食に強い。
身体も強いが、精神が強いのである。
だから一日二日など彼らは平気である。
だが彼らの食欲を刺激するような状況は理不尽だ。
食欲を刺激されれば食いたくなるのは当然なのだ。
だからそこら辺を充分に配慮した状況にするのだ。
因みに私は、その日は彼らと一緒に絶食する。
彼らは私が一緒に絶食していることを知っている。
 
これまで最も経済逼迫した時は、
氷点下20度を超える冬期に一緒に一週間絶食した。
この私は空腹で身体は冷え切り気力も落ち込んだが、
歩くだけでも激しく息が上がるような有様だったが、
犬たちは痩せながらも、微塵も弱音を吐かなかった。
微塵も弱音を吐かずに、皆で私を激励してくれた。
この私の気力など彼らの足元にも及ばないと実感した。
あの時の彼らの神神しい勇姿を永遠に忘れない。
そして彼らは、そういう時にも私を一心に信じてくれた。
ただの一言も、彼らは空腹を抗議したりしなかった。
事情で食糧が得られないことを察知していたのだ。
彼らと私は奥の奥まで一心同体だったのだ。
彼らは老境の今も元気満満である。
このブログの写真から分かるはずだが、
16歳の悍も15歳の山斗も猛も小太も、
そして他の皆皆も全員が元気満満である。
彼らは真の生命力に満ち満ちている。
生命力というものは物質充足だけでは得られない。
物質充足も必要だが、それと同等に「何か」が必要なのだ。
その「何か」については、このブログに書き続けてきた。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:10:09 ≫