<<宥和狼山>>
**YUUWA ROWZAN**
 
もう明け方の気温は概ね五度以下になる。
低地の平野部であれば冬に近い気温だろう。
またあの極寒世界が音も無く近づいてきたのだ。
この森の猪の泥浴場「ヌタ場」が少し広がっていた。
新しい足跡も残されている。彼らが元気そうで安心した。
猪達との春の一件はインパクトのある出来事だったが、
猪達と我我家族は、そんな出来事は無かった如くに、
元通りに「暗黙の了解の間合い」で生活している。
何の確執も持たずに、互いに宥和精神で暮らしている。
今の時期は熊も活発に行動しており、
ときどき熊の匂いを強烈に感じる日もあるが、
熊達と我我家族は互いに暗黙の宥和精神で暮らしている。
互いに宥和精神を持たなければ、次次と何かが起こる。
何かが起これば、どんどん事態はエスカレートしていく。
そしてついには、どうにもならなくなるのである。
だから宥和精神こそは、最も重大な調和の根幹なのだ。
 
だが宥和というのは、双方の宥和姿勢で成り立つものだ。
片方だけが宥和姿勢で臨んでも成立しないのである。
双方が互いに宥和姿勢で臨んでこそ調和に向かうのだ。
人間世界で争いが無くならないのは、そういうことだろう。
双方が聞く耳を持ち、双方が宥和姿勢を持たなければ、
そこには対話も成立しないし、平和も成立しないのである。
だから周囲が片方だけに姿勢を要求しても無意味なのだ。
片方だけに対話姿勢宥和姿勢を要求したら不平等なのだ。
片方が宥和拒否ならば、もう片方も怒り出すことになるだろう。
だからこの「双方ともに」ということが最も重大な鍵となるはずだ。
「双方ともに」が無ければ、延延と憎悪紛争は終わらないと思う。
 
 
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2013年9月20日。猪の泥浴場。辺りは猪の匂いに満ちている。
 
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2013年9月18日17持40分。もうすぐ山界の深秘の夜が訪れる。
15歳の老境の山斗も、尾を高く掲げて元気一杯に走る。
後方の車の後部ガラスの辺りに、不思議な何かが映り込んでいる。
この時、車の後部の周囲には何も無く、あるのは空気だけだった。
この森は不思議な現象が普通に日常的なのだ。
 
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9月18日17時40分。
 
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これは「17時26分」の時の写真。
 
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2013年9月19日21時13分。月と光玉。
光玉は「星」ではありません。この古い携帯カメラに星は写りません。
 
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2013年9月17日19時51分。月と光玉たち。
小さな光玉たちも「星」ではありません。
 
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同じく「19時51分」の写真。光玉は一瞬に移動します。
 
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2013年9月20日22時46分。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:09:26 ≫