<<悲犬今生死>>
 
今生で「その時に避けられない死」がある。
自分が安全な立場に居る人は、
なかなか「避けられない死」を想像できないだろうが。
自分の身に置き換えて想像することが難しいだろうが。
だが現実に、「その時に避けられない死」は存在している。
たとえば飼犬の運命は、飼主によって左右されている。
飼主の一存で、飼犬の運命が決まる。
非情飼育の挙句の果てに「処分」を依頼する飼主も多い。
運良く愛情深い飼主と暮らせる犬達もいるが、
そういう犬達は全体から見れば非常に少ないのだ。
多くの場合は、ただ悲しく苦しい生涯で今生を終えるのだ。
犬達からすれば、今生の世は「魔界」なのである。
人間からの視座で見れば分からないだろうが、
犬達からの視座で見れば、そういうことである。
この世間は、非情な飼主に満ちているのだ。
世間に冷酷非情な飼主が満ちていることを、
その現実を直視しなければならないのだ。
あまりに世間は非情飼主に溢れているから、
「処分」を依頼する冷酷飼主に溢れているから、
だから「避けられない死」という悲劇が起こるのだ。
ここで注意すべきは、もしその飼主に犬を押し戻したら、
その犬はまた延延と「飼い殺し」されるということだ。
その犬はまた延延と、辛い辛い忍耐生活に耐えるのだ。
それはもはや「生でもなく死でもない」という生き地獄なのだ。
その非情飼主に押し戻すということは、そういうことである。
もし飼育姿勢を改められる素質の飼主ならば、
そもそも絶対に「処分」を依頼したりはしないのだ。
 
もしその死が、どうしても避けられないならば、
だとしたら「自分ならば」どのように死にたいか??
もしも自分ならば、どのように死んでいきたいか??
この「もしも自分ならば・・」を、よくよく考えるべきだと思う。
「自分の身に置き換える」ことこそが、最も重大なのだ!!
この今生では、命は肉体とともに生きている。
肉体を持つということは、苦痛や恐怖を感じるということだ。
それが極老衰の場合で無い限り、
死に至るということは肉体の大苦痛を伴うということだ。
その大苦痛を予感すれば、当然ながら命は恐怖する。
だからもし人間が「やむなき事情で」犬の命を奪うとするなら、
せめてその苦痛と恐怖を極力遠ざける配慮が不可欠だ。
この「せめて・・」の配慮心が、どれほど重大か!!
それはやがて「生への配慮」へと結びついていくのである。
単に「もっと生きたい!」しか想像できない人もいるようだが、
だが話の核心は、そういう問題とは全く異なる。
単に「もっと生きたい!」と発想する人の気持は分かるが、
この話は「避けられない死の場合」のことなのだ。
それを認識できないと、話は一向に進まないのだ。
まず「その時に避けられない死の現実」を知るべきなのだ。
そして「肉体を持つ今生の死」というものを考えるべきなのだ。
 
≪≪京都新聞の記事≫≫
この記事は重大な内容である。
ここには「避けられない死」に対する真剣な配慮がある。
ここには「スペシャリスト達」の本気の思慮がある。
この真剣な配慮は、大きな前進だと思う。
なぜなら「死に対する配慮」が、
「生に対する配慮」に直結しているからだ。
それが直結していることを人人は知るべきだと思う。
死に対する配慮は、必ず生に対する配慮に繋がるのである。
「尊厳死であろうが殺処分に変わりは無いだろ!」
・・・と声を荒げる愛護家達も多いだろうが、
それを言ったら話は一向に進まないだろう。
「とにかく殺処分反対!」と口で言うのは簡単だが、
世間の非情飼主達を即座に諭すことはできるのか??
その非情飼主の飼育感覚は、
この今の世間の世情の反映だということを、
まずはそれを認識しなければならないのである。
世間では非情飼主も決して特殊な存在では無いのだ。
その現実を、よくよく認識すべきだと思うのだ。
それを認識した上で上の記事を読めば、
その記事内容の真意が分かるはずである。
世間には「犬畜生の殺し方なんてどうでもいいだろ!」
・・・と嘲笑する人も多いのである。それが厳然と現実なのだ。
その現実を考えれば、この記事内容の重大さが分かるはずだ。
 
「死ねば一緒!死に方なんか関係ない!」と言う人も多い。
そう言う人は、もし自分の死の際にも、そう言えるだろうか??
「死ねば一緒だから、どんな死に方でもOK!」と言えるだろうか??
今生の最期に、もし最苦の苦しみが待ち構えているとしても、
その人は平気で平然と、その死を迎え待つことができるだろうか??
自分の身に置き換えてみれば分かることだろう。
「もし死ぬなら、できる限りに安らかに死にたい・・」
それが全ての命の、今生最期の切なる願いである。
 
非業の死に際の動物達が、昔から私の夢に現われる。
それは夢とも現実ともつかないリアル光景である。
いろんな動物達が苦しみの極致の姿で現われる。
それは言葉では表現できないほどの惨劇だ。
それは実は、全世界の現実なのだ。
それは全世界の動物達の悲痛極まる悲鳴なのだ。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:09:15 ≫