<< 狼の歌1997 >>
 
過去記事でも紹介したことがあるが、
「狼の歌1997」として再び紹介することにする。
これは昔の友人のアメリカンネイティヴが、
全身全霊で狼山家族に書いてくれた歌である。
この歌を分かってくれる人は少ないと思うが、
しかしここには、さまざまなヒントが凝縮されている。
ところで、この歌には「狼に試される」と書かれているが、
それは比喩表現であり、実際には己自身に試されているのだ。
「絆の道」というのは、常に己自身に試されているのである。
 
イメージ 1
<<TUNDRAWOLF>>
 
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見よ、森の木立から、森の木洩れ日の中から俺、
 
お前の前に現われる。
 
雪原を疾る俺、音も無く森を抜ける俺、
 
星影に佇む俺、最も暗い風の背後にも姿を隠す俺、

見よ、お前の前に現われる。

 
お前に姿を見せなくともよいのだ。
 
お前が一生俺を探しても、
 
一本の毛も見せないままで終わることも出来るのだ。

しかし見よ、森の木立の中から俺、お前の前に現われる。

 
 
俺、二本足の者の気配が嫌いだ。

二本足は森を敵として入るからだ。

二本足の汗の匂い、二本足の作り出した鉄の匂いが嫌いだ。

俺の魂を包み込んでいる毛皮の毛一本一本が逆立つのだ。

お前も二本足の男だ。

俺、お前を殺せる。

今まで俺はお前よりずっと強く、大きく、
 
そう、お前より美しい者を殺した。

お前、そのことを一瞬でも忘れてはならない。
 
 
お前、俺を探していた。

何が望みだ。俺の知恵なのか?

あの凍てついた地獄を生き延びる力なのか?

幾日も幾日も食べずに走り続ける力なのか?

二本足が置く「鉄のアゴ」からどう逃げるかを知りたいのか?

どうやって自分の足を咬み切って逃げるかを知りたいのか?

我我には痛みがあるのか、無いのか、それを知りたいのか?

それとも俺の心が望みなのか?心が欲しいのか?
 
 
俺、お前を試す。

お前がしくじらない限り、殺しはしない。

しくじりは許されていないのだ。

我我にもまた、許されていないように。

吹雪の中、峰峰を越える時、

そして何よりも狩りの時、

しくじりは許されていないのだ。
 
俺はお前を常に試す。

影たちの消える夕暮れから朝まで、

そして朝からまた影たちが消えるまで。

我我が試されているように。

我我が鹿たちに試されているように。

我我が風たちに試されているように。

そのように、俺はお前を試す。一瞬一瞬に。
 
俺、お前の肉体を試す。

お前の両足は水に漬かった木のように重くなる。

お前の歩みは乱れ、疲れ果ててお前は立ち尽くす。

お前の命が賭かっても、

もう一歩も踏み出せないほどにお前は疲労する。

お前のその太い両腕が、まるでしおれた草の葉のように萎える。

お前のその厚い背中が痛みで曲がる。

お前はあまりの苦しみに叫ぶ。

そしてお前の心は、

陽の中に置かれた濡れた鹿皮のように縮み上がる。
 
俺、お前の力を試す。

俺、お前の心、お前の愛を試す。

お前の愛は夜空のように無限なのか?

それとももう、水気の無い木の実なのか?

しかしその試練の中、少しずつ我我の世界を見せよう。

お前次第だ。
 
 足跡だけで誰が通ったか分かるようになる。

足跡の主が健康かどうか、

女か、男か、

いくつの冬を越えた者なのか、

追ってよいのか、追ってはいけないのか、

殺してよいのか、殺してはいけないのか、

それも分かるようになる。
 

俺は怖れられている。

お前にも怖れられている。

その俺がお前の前に現われている。

その俺、お前に微笑んでいる。

白い牙で、琥珀の目で。

俺、お前と歩む。

森の中、雪原、川の岸辺、
 
蚊を避けるための風の峰、紫の小花が咲く草原。

お前と、唯一無二の仲間として歩む。
 
俺、お前への想いを歌う。

俺、俺のやり方でお前を愛す。
 
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■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:08:06 ≫