<<ボス精神>>
 
大勢の犬たちと暮らすとき、
彼ら集団を無事に導いていかねばならない。
でき得る限りに群れに調和をもたらし、
アクシデントを予防していかねばならない。
それは非常に難しいことだが、
全身全霊でそれを努力しなければならない。
「集団」には、統率者が必要なのである。
統率者無しには、集団は調和を保てないのだ。
どれほど個個が配慮を心掛けていこうとも、
いざ集団となると、全体の調和は困難となるのだ。
何かが引き金となって不測事態が起こるのである。
だから必ず、統率者は必要となるのである。
その統率者を、ここでは「ボス」と呼ぶことにする。
大勢の犬たちと暮らしていくには、
主人が「ボスの役目」を果たさなければならない。
たとえ「自分はボスになどなりたくない!」としても、
たとえ「自分は友だち関係でいいんだ!」としても、
その主人は「ボスの務め」を果たさなければならない。
そうでなければ、その集団は崩壊していくことになる。
もし犬たちを心から想うのなら、
もし犬たちへの愛が本物ならば、
それならば主人はボスの使命に挑まねばならない。
常に理想のボスの姿に挑んでいかねばならない。
「ボス」というのは、ほんとうに至難の重責なのだ。
 
ボスとは、権力者のことでは無い。
ボスとは、支配者のことでは無い。
ボスとは、威張る者のことでは無い。
ボスとは、横暴な者のことでは無い。
ボスとは、覚悟者のことなのだ。
命懸けで群れを調和に導き、
命懸けで群れを護る覚悟者のことなのだ。
大袈裟に聞こえるかも知れないが、
「心構え」としては、そういう姿勢なのだ。
だから犬たちは、心からボスを慕う。
それは決して「媚売り」では無い。
それは決して「ご機嫌窺い」では無い。
犬たちは、「真のボス」を見抜くのである。
ボスの覚悟を持つことを見抜くのである。
だから犬たちは、心からボスを慕うのである。
このシンプルな道理を軽視すれば、
主人は犬たちからの尊敬を失うことになり、
大勢の犬たちを統率することはできなくなる。
そして次から次へと不測事態が起こるだろう。
そして注意すべきは、
個個に対して平等の愛情を持つということだ。
犬たちは無意識の内に、それを見ている。
彼らは「自分だけが愛されたい!」とは思わないのだ。
全ての個個に平等に愛情を注ぐボスを尊敬するのである。
そういうボスを、ボスとして尊敬するのである。
もちろん犬は自分が可愛がってもらえることを喜ぶが、
他犬に対して「やきもち」のポーズも見せたりするが、
ほんとうの本心は、全員に対する愛情を望んでいるのである。
そしてそういうボスを、心から慕い尊敬するのである。
 
 
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北極エスキモー犬のボス犬。
先導犬とボス犬が異なる場合もあるが、
この犬はボス犬であり先導犬である。
北極橇犬のボス犬は、まさしく命懸けだ。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:07:31 ≫