<<華厳経は宇宙経>>
 
≪≪ 極大極微 円融無限 ≫≫
華厳経はスーパースケールだ。
あまりにも壮大なので人人に理解されなかった。
だから人人はもっと理解し易い経典を選んだ。
だがそろそろ、華厳経は理解されるべきだと思う。
華厳経が理解されれば、世界は調和に向うだろう。
華厳経に何が説かれているかは、
書庫の「華厳共生義」に、シンプルに書いてきた。
細かな説明は省略して、とにかくシンプルを心掛けた。
 
華厳経のスーパースケールは言葉には表現できない。
たとえばこの映像のような無限宇宙のスケールである。
だがそのスーパースケールは、ひとつの命に宿っている。
ひとつの命の尊厳は、スーパースケールの尊厳なのだ。
そして大宇宙のあらゆる命の尊厳は、どこまでも同等である。
「どこまでも同等である」ことに深義が隠されているのである。
華厳経は様様な奥義を説いているが、
その最後の深奥は「慈悲の尊さ」ということだ。
その深奥は、きわめてシンプルなのである。
きわめてシンプルなのだが、とてつもなく至難なことである。
 
ところで三世紀頃に華厳経が編纂された場所は、
今の「ウイグル」のホータンという砂漠のオアシスである。
そこでは英知に満ち満ちた佛教僧たちが、
超難解な佛典の解読に一生を捧げていたのである。
まさしく文字通りに、一生を捧げていたのである。
そして華厳経は編纂され、その後に中国へと伝えられた。
そしてその中国でも、
生涯求道する高僧たちにより深義が解き明かされていった。
しかしその後にウイグル地方は回教勢力に支配され、
僧院などもことごとく破壊されてしまったようである。
中国もいつしか、佛教国ではなくなってしまった。
そして中国でも、ほとんどの寺院は破壊されてしまったようだ。
朝鮮国では新羅高僧「義湘」が華厳深義を説いた。
朝鮮国は長く佛教国だったのだが、その後に儒教国となった。
佛教寺院はことごとく破壊され、佛教僧は山奥へと追われた。
日本国では奈良時代に東大寺で、
新羅華厳僧による華厳経講義が三年間続けられた。
そして鎌倉時代には華厳僧「明恵沙門」が世に知られた。
明恵沙門は有名だが、「華厳経」は未だに知られていない。
このスーパースケールの華厳経は、未だに知る人ぞ知るである。
 
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:07:12 ≫