<< 野性対話 >>
Animal communication
 
動物との対話は「言葉を超えた世界」だと述べてきた。
人間の言語に軽軽しく翻訳することはできないと述べてきた。
だが言葉は使う。言葉は言霊となるからである。
それは言語として伝わるのではなく、言霊として伝わるのだ。
それは言語ではなく≪心≫として動物に伝わるのである。
言霊というのは「言葉に宿った心」のことなのである。
だが言葉は簡単には言霊にならない。
ほんとうの本心の言葉でなければ言霊にはならない。
だからいい加減な気持で言葉を掛けても無意味である。
無意味どころか、やがてそれは弊害になっていく。
いい加減な気持の言葉は、空気を濁らすのである。
動物たちは、そういうことに極めて敏感なのである。
いい加減な気持の言葉は、彼らの気持を沈ませていく。
 
動物たちは言語世界には生きていない。
彼らはどこまでも感性世界に生きている。
その感性世界を「言語」に翻訳しようとする人も多いが、
それはそもそも無理があるから、当然ながら誤訳を招く。
そこには人間の主観が入り混じってしまうのである。
人間特有の価値観:世界観:死生観が入り混じるのだ。
動物との対話とは、言語対話では無いのだ。
それはどこまでも感性交感なのである。
だが言葉が言語を超えて言霊になったとき、
動物たちはその言霊に感応する。
 
動物たちは言霊が大好きだ。
心が宿った言葉を、彼らは心で聴いている。
言霊を聴く彼らの心は、とてもとても嬉しくなる。
だから犬たちにいつも言霊で語り掛ける。
この自分のほんとうの本心で語り掛ける。
それは見事なほどに犬たちに通じている。
犬たちは見事に言霊に感応するのである。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:06:08 ≫