<< 野性の掟 >>
 
4月27日の夕方に。
先発グループの犬たちと運動に出掛けた時のこと。
犬舎を出発して暫くして、二頭の大きな猪と遭遇した。
ちょうど猪が森を横切ろうとした時に、
見事にバッタリと出合ってしまったのだ。
長年の山暮らしで、こんな凄いタイミングは初めてだ。
凄味あふれる黒褐色の、健康美に満ちた大きな猪だ。
森の中で見る野生の猪の迫力は別格だ。
観光牧場の猪や猪豚とは迫力の次元が違うのである。
肩高は大型犬くらいだが、「身体の塊り感」が圧倒的である。
見た瞬間に、野生の猪の途方も無い力量を直感する。
もちろん熊も凄いが、熊とはまた違った力量感である。
≪熊については「NO750:光の母熊」などに書いた≫
とにかく人間などとは力の次元が異次元である。
どんな力自慢でも話にならない。比較の対象にもならない。
これは実際に遭遇しなければ実感できないことだろうが。
だが考えてみれば分かることだ。
彼らは赤ちゃんの時から死ぬ時まで生涯の全てが、
まさしく生死を賭けた鍛錬の日常なのである。
赤ちゃんの時から、生死の境界上を生きているのだ。
それを考えれば、彼らの力量が容易に想像できるはずだ。
 
犬たちは、森の猪のことを充分に知っている。
それどころか、猪たちとは顔見知りの友達である。
これまでは犬たちは、猪たちと暗黙の調和を成してきた。
だがその日は、少しばかり状況が違った。
その日は「照華:teruka」という雌犬(避妊済)も一緒だった。
照華は体重6kgくらいの、小さな小さな小犬なのだが、
とにかく鼻っ柱が強い。向こう気の強さが天下一品なのだ。
平気で雄犬にも向かっていくし、先輩犬にも向かっていく。
気が強いと言うよりも、無謀に短気なのである。
私は照華のその気性を、いつも危惧していた。
これは照華ひとりの問題ではなく、
家族全体の調和と安全に直結する重大事なのだ。
だがこれは「躾:訓練」でどうこうなる課題では無い。
これは≪気性の未熟≫という問題なのである。
もちろん私には忠実従順な可愛い可愛い女の子なのだが、
他者に対しては、とにかく鼻っ柱が強すぎるのである。
もちろん私がその場にいれば喧嘩は未然に防げるが、
もしも私がその場にいなければ、いずれ必ず何かが起こる。
そういう点で、これまで非常に要注意の子なのであった。
 
その照華が独断で猪に向かっていった。
体格が十倍以上も大きな野生の猛者に突撃したのだ。
「ああ、もう収拾がつかなくなる・・・・」
これでもう事態は収拾がつかなくなることが明白だった。
照華は見事に吹っ飛ばされた。
普段は鳴かない照華が悲鳴を上げた。
その悲鳴を聞いて他の犬たちは救援に入った。
二頭の猪に抗議の雄叫びを吠えて向かっていった。
今いる家族の犬たちは、平均すれば柴犬くらいの小型犬だ。
どんなに頑張ったところで、最初から相手にもならない。
大きな猪にとっては、微塵も脅威にならないのである。
だが向かってくる相手に対して、猪は怒ってしまった。
大きな猪を、怒らせてしまったのである。
大きな猪が怒れば、どういうことになるか??
どういうことになるかが、ありありと予測できた。
照華が犬舎に向かって逃げていく。
それを追って猪たちが猛然と突進していく。
まさに「猪突猛進」である。その言葉は本当なのだ。
他の犬たちも、それを追いかけていく。
私は無我夢中で犬舎に向かって走った。
血の気が失せるような感じの中で懸命に走った。
ようやく犬舎施設に着くと、信じられない光景が見えた。
フェンスの中に一頭の猪が入って走り回っている。
出入り口は120cm、周囲は140cmの高さのフェンスを、
それを飛越えて中に入ってしまっていたのである。
犬たちが猪の突撃をかわしながら応戦している。
そしてもうひとつの光景は、さらに信じ難いものだった。
私は我が目を疑った。まるで悪夢のように思えた。
あろうことか、「山斗」の犬舎に、猪が入っている。
5mmの太さの鉄網を針金で結んだ接合部を、
そこが弱点部分だと直感した猪は、
そこを突き破って入ってしまったのである。
犬舎の中で山斗が組み伏せられて牙で突かれている。
転がされながらも山斗は微塵も怯まずに耐えている。
ただの一言も悲鳴を上げずに、闘神の如くに闘っていた。
山斗は、15歳の超老犬なのだ!!
人間で言えば90歳くらいの、超老犬なのだ!!
その超老犬の小さな山斗が、渾身の力で闘っていた。
山斗は渾身の力で、全身の筋肉を鉄のように固めていた。
全身を固めなければ、あっという間に壊されてしまうのだ。
身体を壊されないために、死にもの狂いで全身を固めるのだ。
超老犬の心臓と筋肉は、極限の力を振り絞っていたのだ。
私は一瞬、頭の中が真っ白に近くなった。
あちらではフェンスの中で犬たちが応戦している。
こちらでは山斗が組み伏せられている。
いったいどうすればいいのか、もう訳が分からなかった。
もはや収拾がつかない究極状況だったのである。
しかしまずは山斗の危機を救うことが先決だった。
もう扉を開けて中に入る時間の猶予は無かった。
私はその猪に向けて全身の気合を爆発させた。
これ以上は出ないという渾身の気合で大喝した。
するとどうしたことか、猪は山斗を離した。
そして別の接合部分を見つけて、そこを烈しく頭突きした。
二度目の頭突きでそこは破られ、猪は走って出て行った。
それは凄まじい頭突きだった。異次元の頭突きだった。
私はすぐさま、あちらのフェンスの方に向かった。
するとフェンスから、もう片方の猪が飛び出てきた。
その猪は、私に突進してきた。
その時はもう、考える余裕など一片も無かった。
猪の顔に自分の両手が触れるのを感じた。
猪の顔に両手が触れた感覚が残っているのだ。
だがその一瞬間の記憶が全く無いのだ。
その場面の記憶が完全に飛んでしまったのだ。
気がついたら、その猪は走り去っていたのである。
まるで夢のようである。私は全く無傷だったのだ。
すぐに私は山斗の犬舎に入り、彼を抱きかかえて車に乗せた。
怪我のレベルを一瞬で判断するのは難しかったが、
かろうじて致命的ダメージは免れたようである。
山斗の怪我の手当ても緊急を要するものだが、
だが他の犬たちの安否も確認しなければならない。
犬たちは全員が集合していた。
私は即座に全員の様子を見渡した。
全員が無事だった。無傷なことが一目で分かった。
最初に吹っ飛ばされた照華も全く無事だった。
よくぞ皆が無事でいたものだと心底から驚いた。
そしてよくぞ誰も逃げなかったと心底から感服した。
彼らの家族の絆は本物だったのだ。
その絆に一片の偽りも無かったのである。
だが犬たちを犬舎に戻した後で、やることがあった。
この場の空気を鎮めなければならないのだ。
 
これまで長年に亘って、
我我家族は猪たちと調和共存してきた。
だが初めて、その調和が崩れることとなった。
猪たちに申し訳ない気持で一杯だった。
ただただ我我が悪かったのである。
何と詫びていいのか分からないほどだった。
森の中で出合った時、あの二頭の猪は、
そのまま何事も無く歩き去る様子だったのだ。
そのままだったら、何事も起こらなかったのである。
実際にいつもは犬たちは、
猪たちとの「暗黙の了解」を心得ていたのである。
だが照華が、発端を起こしてしまった。
ただ一頭の行動で、一家は存亡の危機に陥るのである。
だが照華を責めてもしょうがないことだ。
照華は自分の「気性の未熟」を、多少は思い知ったことだろう。
気性の未熟は、己の生死に関わる事態で無い限り、
それを思い知って反省することは無いと思われる。
ヘタをすれば「死ぬ間際に」始めて思い知ることだろう。
今回の事態で、照華が反省してくれたならいいのだが。
私は辺りの空気を鎮めるために、
そして調和を取り戻すために、全身全霊で祈りの勤行に入った。
それをやらなければ、この森から出られないのだ。
この空気のままで犬たちを残して外出などできないのだ。
猪たちはまだ興奮を引き摺っているだろうし、
もう季節的に熊たちも出没するのである。
だから何としてでも、辺りの空気を鎮めなければならない。
そうしなければ、犬たちに危険が迫ることになるのだ。
私は焚き火を起こし、全霊で経文を唱えた。
だんだん辺りの空気が鎮まってくるのが分かった。
要注意の時間帯は夕方6時頃から9時頃に掛けてだが、
その日は念のために夜通しで森を夜番することにした。
もちろん山斗の怪我は心配であったが、
彼は車の中で静かに横になっている。
下腹に大きな裂傷を負ったが、なぜか出血は少ない。
なんとか致命的ダメージは避けることができたようだ。
いずれにしても動物病院に行ける時刻では無いので、
彼を車の中で安静にさせ、そして私は森を夜番した。
もちろんいつも通りの素手丸腰スタイルである。
それがこの山の自分のスタイルなのである。
何かを持てば、それはつまり戦闘態勢を意味する。
その姿勢は山の動物たちに必ず知れることになる。
そうなれば当然ながら、誰も私を友達とは見なさない。
そうなれば次次と、いろんなことが起こってくるだろう。
 
あれから6日が経過した。
森は再び静かな気配を取り戻した。
そして犬たちは微塵も気落ちしていない。
それが一番の気掛かりだったのだ。
もし犬たちが怖気づけば、
いろんな意味で展開が変わってくるのだ。
この森での微妙な調和バランスと暗黙の了解が、
そういったものが成り立たなくなるのである。
もう犬たちを残して森を出られなくなってしまうのだ。
だから彼らが以前通りの姿勢でいることに安心した。
以前通りであるか無いかは、一目で分かるのである。
それにしても彼らの精神のタフさには驚くしかない。
山斗の怪我は、獣医に縫合してもらった。
直径10cm以上の大きな裂傷で、内部が見えていた。
私が山斗を抱いて保定したが、彼は真に強かった。
最初から最後まで、ただの一言も声を上げなかった。
獣医も「山斗君は鳴かないですね!」と驚いていた。
私と山斗は頬と頬をピッタリとくっつけて一緒に耐えた。
山斗と私は、どんなときも一心同体なのだ。
山斗はあの日からずっと、一緒に部屋にいる。
もう毎日散歩しているし、食欲もすこぶる旺盛で元気だ。
ただし傷口が完全に癒着して固まるまで部屋住みだ。
五月一杯は一緒に部屋で暮らす予定である。
ところで山斗と森の家族たちは、
テレパシーで交信しているようだ。
両者を深く深く見つめていれば分かるのだ。
森の家族たちは山斗の元気な様子を知り、
それでとても喜んでいた。本当に喜んでいたのである。
 
ところで、あの猪たちは、どうだっただろうか。
気落ちしなかっただろうか?気持は元気だろうか?
あの鉄網を破った時に、怪我はしなかっただろうか?
しばらくずっと、そんなことが頭から離れなかった。
こんなことがあっても、彼らは我我の友達なのだ。
彼らがどれほど懸命に生きているかが分かるのだ。
だが夜の森に立って辺りの気配を感受していると、
彼らが以前通りに活動していることが分かった。
それにとても安心した。それがとても嬉しかった。
ところで重ねて申し上げるが、
猪たちは無思慮に他者を攻撃したりはしない。
私が一人で歩いている時に遭遇したこともあったが、
いつも何事も起こらずに私は無事だったのだ。
猪が誰かに突進する時は、必ず理由があるはずなのだ。
彼らは実は非常にナイーブなハートの持主なのである。
ただし何かの理由で怒った際には猛烈に突進するのである。
その気持は痛いほど分かる。
もしそれが無かったら、
彼らは好き放題に食われてしまうではないか!!
黒熊にしても同じだ。身を護るための「力」なのである!!
私には彼らの事情と気持が痛いほど分かるのだ。
 
野性界には「暗黙の了解」という掟がある。
それを忘れれば必ず何かが起こる。
この森に帰る時には、だからいつも身を糺す。
どんなときでも自然体の集中力を忘れない。
 
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「2010年1月:山斗:12歳」
 
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「2010年1月:照華:5歳半」
 
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「2013年1月:山斗:15歳」
 
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「2013年1月:山斗:15歳」
 
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「2013年4月29日:山斗:縫合手術後」
 
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「2013年4月30日:山斗:お散歩」
15歳の超高齢だが、どんどん元気を回復してきた。
ちなみに山斗は換毛期の最中だ。
グルーミングは行なうが、無理して半生毛は引き抜かない。
換毛というものは、「だんだん徐徐に・・」なのである。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:05:03 ≫