<<光の母熊>>
 
七年前の春に、二週間に亘って大きな熊が来た。
最初の夜は、緊迫した場面となった。
暗闇の森に大型獣が枝を踏み鳴らす音が響いた。
そして枝を踏む音が、だんだん近づいてきた。
とにかく重厚な気配だから、すぐに熊だと直感した。
不思議なことに、その前から「ラップ音」が鳴り響いていた。
「今夜はやけにラップ音が多いな・・・」と感じていた。
ところでラップ音というのは、ただの自然現象ではないが、
これは実際に体験した人でないと実感できないだろう。
まるで季節時間に関係なく、時には四方八方から鳴り響く。
四方八方に誰一人いない無人の森の話である。
こういうことは、実体験しなければ信じられないだろう。
 
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犬たちは熊をとっくに感知していたが全く動揺していない。
その当時には大きな猛者家族たちは他界していたから、
だからみんな普通の犬たちだったのだが落ち着いていた。
≪狼や狼犬や北極犬が存命の頃は熊は来なかった≫
みんなそれぞれの犬舎に入っていたのだが、
その当時は「悍:kan」はまだ鎖で係留していた。
そして彼は犬舎エリアの一番突端にいた。
枝を踏む音は、その彼の方向に進んできた。
「これはちょっとまずいな・・・」と、私は相当に緊張した。
彼は係留されているから自由に立ち回れないのだ。
あるいは鎖が絡めば、いろんなアクシデントが起こる。
だが解き放てば、彼は熊に向かっていくだろう。
なにしろ彼は非常に気性が強いのであった。
彼が自由な状態ならば熊の一撃はかわせるだろうが、
もしも一撃がヒットすれば、それで終わりである。
その一撃で致命的なダメージを受けるだろう。
それを考えると、解き放つことはできなかった。
悍はすでに臨戦態勢に入っていた。
微塵も尾を下げることなく胸を張って待ち構えていた。
その勇姿は、まったく見事であった。
 
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「悍:12歳時:2010年1月」
 
私は悍の前に立って、熊との間に入った。
もちろん素手である。もちろん何も持たない。
緊張感は尋常ではなかったが、
なんとしてでも彼を護らねばならない。
熊の力の凄まじさを、私は強烈に直感した。
この自分など熊と較べれば「つま楊枝」のようなものだ。
それほど強烈に、熊の圧倒的な底力を直感したのだ。
なんというか、熊はつまり「塊り」であった。
野生の熊は、まさしく大力の塊りだったのである。
それは人間などとは比較にならない次元の力である。
熊は15mほど手前で歩みを止めた後、
そこから一直線に突き進んできた。
その時の緊張は人間相手に経験できる緊張ではない。
とにかく野生の迫力というものは次元が違うのである。
だが悍を護るために、私は渾身の気力を振り絞った。
右手を大きく前に掲げ、裂帛の気合を熊に掛けた。
それは森を揺るがすような胆力声だったと思う。
すると熊は直前2mくらいで止まった。
私は右手を前に掲げたまま熊と向き合っていた。
熊はしばらく、暗闇の中で私を見つめていた。
そして静かに踵を返し、ゆっくりと帰っていった。
振り返れば、悍は堂堂とした姿勢のまま、
熊の帰った方向を見据えていた。
後方の犬舎の犬たちも落ち着いていた。
つくづく「犬たちは凄いな!」と感服した。
それから二週間に亘り、熊の訪問が続いた。
長くなるので省略するが、いろんなことがあった。
あんなに長く続いたのは、あの年だけであった。
ここ数年は、熊は近くまで来ない。
暗黙の間合いを心得てくれているようである。
 
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山ではいつも素手丸腰だ。
何かに頼ろうとすれば野性の感覚は磨けない。
 
熊の訪問の最後の日に、私は「光の熊」を見た。
立ち去る熊の背後に、光の熊がいたのである。
それはおそらく、その熊の母親だと直感した。
光の母親が、我が子を見守っていたのである。
そして私は、いつも「熊の心」を感じるようになった。
あの光の熊が、なにか尊いものを伝えてくれたのだ。
山の命たちの全身全霊を。
目には見えない命たちのドラマを。
そして山の命たちの偉大な愛の絆を。
そういう尊いものを私に教えてくれたのだ。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:04:01 ≫