<<MIXDOG>>
 
今の我が家族は「MIXDOG」たちである。
この長い年月で何十頭のMIXDOGが家族だった。
家族の多くは、悲しい生い立ちを背負っていた。
鎖に繋がれたまま、餓死を待つ運命の犬もいた。
あるいは野犬だった犬も、捨て犬だった犬もいた。
皆それぞれに、素晴らしい個性に満ち満ちていた。
昔昔、調教の先生に、よく怒られた。
「おまえ、雑種を訓練して何になるんだ!!」
「おまえはいったい、どこまでバカなんだ!!」
「いい加減に、自分の生活を考えろ!!」
「気持は分かるが、どうやって食っていくんだ!!」
先生は私を可愛がってくれた。
だからこそ心配してくれた。だからこそ叱ってくれた。
だが私が頑固だったので、ついに先生は諦めた。
「おまえは人の引けない犬を引ける。それだけは認めてやる。」
絶対に誉めない先生だったが、最後に誉めてくれた。
そして先生の言う通りに、私は破滅と変わらぬ人生になった。
破滅のような崖淵の人生だったが、
その代わりに、犬たちの真情を知ることができた。
世間では「無価値」と蔑まれる雑種犬たちの、
彼らの素晴らしさも知ることができた。
 
我家のMIXDOGたちは逞しい。
氷点下20度でも元気満満である。
そして運動能力は驚くほどである。
そして私と「会話」ができる。
普通の話し言葉で意思の疎通ができる。
私は訓練用語はほとんど使わないが、
それを使わなくとも自然体で通じるのだ。
ところで雑種には、いろんな能力が潜んでいる。
そしていろんな傾向性が交錯している。
だからその雑種犬の個性を洞察するのは意外に難しい。
純血種の個性を見極めるよりも難しいかも知れない。
純血種の場合には、ある程度の予測ができるからだ。
だから雑種犬との対話は、非常に勉強になるのである。
私はMIXDOGたちから、尊い勉強をさせてもらった。
先日、またまた雪が降り積もった。
四月の終りまで、この森の雪は溶けない。
まだまだずっと、白銀世界のままである。
MIXDOGたちは、この冬も元気満満である。
彼らの姿を見ると、なぜかいつも泣けてくる。
≪写真は一杯あるので、ごく最近のものだけ載せる≫
≪家族は大勢なので、とても全員は紹介しきれない≫
 
 
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「あかね」は10歳に近づいた。いつも私と会話している。
 
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「空:sora」は8歳半になった。甲斐犬くらいの肩高だが、軽軽と120cmを飛越する。
 
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「道:dou」は忍者のような動きをする。
 
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14歳の山斗も元気一杯だ。尾の雰囲気にご注目を。
 
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見た目より雪は深いので、実は疾走は大変だが、彼らは見事に走る。
 
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「集合!!」 彼らは素早いレスポンスで指示を聞いてくれる。
 
犬は単独の時と集団の時とでは行動が変わる。
集団の中では集団の中での立場というものがある。
集団の際には集団の際の行動というものがあるのだ。
それを知らないと、犬たちを統率することはできない。
我家の彼らも、単独の際には、ゆったりと私との時を味わう。
彼らも単独の際には、全然「別の犬」になるのである。
因みに彼らを「一頭づつ」部屋に連れてくると、
素晴らしく見事な「賢犬」振りを発揮してくれる。
ほとんど「100%」、私の言葉を理解してくれる。
 
 
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1993年。「攀:han」の一歳くらいの写真。発育の真っ盛りである。
HANは元・野犬である。どんなに空腹に耐えていたことか。
HANはとにかく、異様なまでに「異能者」だった。
彼を知る実猟日本犬愛好家も、彼の運動能力に驚嘆していた。
HANは2008年に、16歳で他界した。
 
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私の「呼び」に常に鋭く応えてくれた。後方の元・捨て犬の「ルウ」は生後三ヶ月くらい。
ルウは、引き取った狼犬の「ロウ」とともに、家の中で一緒に暮らした。
ルウはとにかく、天使のように、やさしいやさしい犬だった。
ルウは、悲しい生い立ちの「ロウ」の心を開いてくれた。
私とルウとロウは、一緒の布団で川の字で寝る毎日だった。
いろんないろんな想い出が、今もこの胸に生き続けている。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:02:09 ≫