<<古代犬の面影>>
 
古代の「原始野生犬」には、いくつかのタイプがあったが、
最も大きく逞しいタイプが「イノストランツェヴィ」である。
その子孫にロシアの大型護衛オフチャルカや、
大昔の古代系チベッタンマスティフや、
そして極地に進んだ大型極地犬たちがいる。
だが今や古代の面影を残している犬など極めて稀である。
なぜならあまりに「人の手」が入り込んでいるからだ。
人間の作意による「ブリーディング」が過剰になれば、
当然ながら古代の面影は失われていくのだ。
そこに人間の作為が入れば著しく「力」は失われていく。
そして身体各部に生来的な支障を抱え込むことになる。
病院通いの犬たちの、なんと多いことか!!
犬たちは本来は、極めて強靭な動物なのに!!
人間は知恵を自慢しているが、
「ブリーディング!」などと自慢しているが、
知恵どころか人間の浅知恵と強欲が、
「疾患を抱え込んだ現代の犬種たち」を生んだのだ。
そうなることは、考えなくても予測できたはずなのに!!
なんでそんなことすら予測できないのか!!
痛ましい疾患の話を聞くたびに、つくづくそう思う。
犬たちは我慢強いから口には出さないが、
日常の動作でさえ激痛を伴う犬も多いのである。
人間だったら間違いなく生きる希望を失うだろう。
 
 
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「1994:王嵐:一歳半」 2006年に13歳で他界。
とにかく圧倒的なパワーだった。
毎日毎日、10kmから20kmを運動した。
絶対に厳重に注意すべきは「暑さ」であるが、
この森の夏は涼しく冬は極寒なので助かった。
氷点下20度でも「心地良い」ような感じであった。
 
写真は北極エスキモー犬の「王嵐:OLAN」である。
祖父犬はグリーンランド北部の北極ソリ犬である。
まだ二歳手前の成長途上期の写真である。
私は多種多様な犬種たちと付き合ってきたが、
この王嵐には古代野生犬の必然美を強く感じた。
北極エスキモー犬には5000年の歴史があるが、
それは北極ソリ犬としての進化の道程だったが、
だが人間の作意からは遠く離れた場所に居続けた。
簡単に言えば「強い犬」だけが子孫を残していったのだ。
そこには人間の「趣向」など一片も介入していないのだ。
もしそこに人間側の身勝手な「好み」などが入り込めば、
あの過酷な北極ソリ犬の世界を生きてはこれなかったのだ。
その意味で現代の「北方犬種」とは全く異なる動物なのだ。
北極エスキモー犬には「人間側の好み」は入っていないが、
だが古代野生犬のような「必然美」に満ち満ちている。
だがその野性は、人人の想像よりもはるかに強烈である。
現代人間社会が本種の野性を理解することは至難だろう。
私は彼らの独特の野性を了解した上で一緒に暮らした。
だからこそ彼らは私を信じ、私を父と仰いでくれた。
もしも私が彼らの独特の野性を否定したならば、
彼らの苦闘の歴史と彼ら自身を全否定したことになる。
そうなれば、とうてい「対話」など不可能だっただろう。
そこには「絆」など、ひとかけらも無かっただろう。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2013:02:04 ≫