<<子猪純真>>
 
もう森は、雪で真白だ。
一度積もれば、春まで溶けない。
春まで白銀世界のままである。
 
犬舎の周りは動物の足跡だらけである。
犬舎エリアの周囲は50mくらいあるが、
ピッタリと沿って歩き回った足跡が一杯ある。
足跡を見てみると、どうやら子猪である。
しかし母猪の大きな足跡は無かった。
母親は距離を置いた場所から見守っていたのだろう。
やはり成獣になると、節度をわきまえるようである。
節度をわきまえて「暗黙の間合い」を保つようである。
あるいはまた「遠慮する」という感じもあるだろう。
だが子供たちは無邪気に遊びに来たのだろう。
もちろん子猪も呑気に無警戒というわけではない。
野生獣が無警戒なら生きてはいけないのだ。
普通なら、猪は母子ともども警戒心に満ちている。
だから子猪といえども、不審者には近づかない。
信用できない相手には、決して近づかないのである。
だからつまり、我家の犬たちを信用したということだ。
おそらく我家の犬たちのことを「知っている」のであろう。
知っているどころか、きっと友達なのだろう。
ただし大きい猛者家族がいた昔は、猪たちは来なかった。
狼や狼犬や北極犬がいた昔には、熊さえも来なかった。
だが猛者家族たちは他界したので、事情は一変したのだ。
今の犬たちも気性は強いのだが、狼族とは気配が違うのだ。
なにしろ野生獣は「気配を感知するスペシャリスト」なのだ。
そこら辺は、いくらなんでも当たり前の話である。
足跡を見た時、とても微笑ましい光景が浮かんできた。
心温まる微笑ましい光景が脳裏に浮かんできたのである。
犬たちも動じることなく静かなままだったようだ。
犬たちが興奮したかどうかは、それは一発で分かるのだ。
犬舎に行った瞬間に、どんな様子だったか分かるのだ。
その場はどうやら、「微笑ましい空気」だったようである。
子猪たちは「エサ」を探しにやってきたのでは無いのだ。
ここには食料もゴミも、そんなものは一片も無いのである。
そういうものは、いっさい置かないようにしているのだ。
子猪たちも、とっくにそんなことは知っているのである。
彼らは「エサ」を目当てに来たわけでは無いのである。
彼らは山の仲間として「挨拶」に来たのだろう。
あるいは「遊びに来た」と言ってもいいだろう。
たとえ厳しい野生生活でも野生獣たちは、
「エサ」だけを生き甲斐にしているわけでは無い。
それだけを生き甲斐にしていると思ったら大間違いだ。
彼らの感性は、人間の想像の何百倍も深く繊細なのだ。
ところで私が犬舎の近くにいる時には、
子猪たちは少し離れた場所の木木の陰から私を見ている。
この私に対する好感度も高いと思われるのだが、
だがそれでも、それなりに距離を保っている。
私は犬たちには、とても敵わない。
犬たちの野性の自然体には、どうしても敵わない。
それに一歩でも近づくように努力してきたが。
まだまだである。さらに精進しよう。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:12:13 ≫