<<動物真情>>
 
ペットの飼育放棄が後を絶たない。
どんなに保護活動家が頑張っても、
まるで「いたちごっこ」の如くである。
なんでこんなことが続くのだろうか。
根本を言うならば、
人人は動物の尊厳を認めていないと言うことだろう。
もうひとつ言うならば、
人人は動物の真情が分かっていないと言うことだろう。
動物の真情が分かれば、
飼育に於ける様様な問題が解決すると思うのである。
だから何とかして、動物の真情を分かってもらいたい。
 
※もしそれが放棄問題ではなく虐待問題であったなら、
それはもはや言語道断の冷酷非道である。
そういう人間には絶対に動物を飼わせてはならない。
弱い立場の命を虐待して楽しむ人間も存在するのである。
あるいはストレス発散の標的にするのである。
その動物が死ぬまで、延延と虐待を続けるのである。
あるいは金儲けの欲望で劣悪環境飼育する商売人もいる。
金儲けの欲望に支配されているから非情飼育に徹する。
世間からは見えないが、そういう商売人は実に多いのだ。
これらは単なる放棄とは異質の大問題だが、
これらに対する予防を社会は真剣に考えるべきだと思う。
なにしろ現実には、なすすべが無い有様なのである。
動物を虐待しても、さほど世間から非難されないのである。
世間の世論が赦している限り、虐待は防止できないだろう。
ちょっとやそっとの法律では、どうにもならないのである。
最も強力に効力を発揮するのは「世論」なのである。
世間が「たかが動物のことでしょ!」と感じている限りは、
この問題を防止していくことはできないだろう。
 
動物たちの真情は、人人の想像とは相当に違う。
だからそれを知るのは、けっこう難しいことである。
それを知るには、なによりも「己の精神の姿勢」が重大となる。
重大と言うか、それが根本となる。
寄せ集めの知識ではなく、己の精神姿勢こそが根本となるのだ。
それ無しには、どんなに知識を寄せ集めても無理である。
「精神姿勢」と書くと、大袈裟に思われるかも知れないが、
実際にそれこそが動物の真情を知る根本となるのだ。
このブログでは、その根本の領域を書いてきたつもりだ。
まだまだ書き足りないが、多少は参考になるはずである。
もし人人が動物の真情を知った時には、
おそらく世界観まで変わるだろう。
それほどまでに動物の真情は想像を超えている。
だから人間世界の固定観念に囚われて、
人間感覚のままで動物と接しても、
動物の真情は分からないままで終わるだろう。
だがこれは「共生」のテーマに直結している。
これは「地球環境」のテーマに直結しているのだ。
「動物の真情を知る」ということは、それに直結しているのだ。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:10:16 ≫