<<保護動物を野生に帰すということ>>
「保護した動物を野生に帰す」ニュースを、よく見かける。
「さようなら、がんばってね!!」で話は終わるようである。
だがおそらく、その動物が生き延びるのは至難中の至難である。
単に「エサの獲り方」とか、そういう問題ではない。
決定的に、「体力」(身体能力)の問題である。
野生世界は、スーパーアスリートたちの世界である。
言うならば長期入院から退院した直後の身体で、
スーパーアスリートたちを相手にするようなものである。
それがどれだけ至難中の至難か、
そんなことは考えなくても分かるはずだ。
筋力も反射力も持久力も、まるで比較にならないのだ。
そんな過酷状況に、いきなり放り込むということである。
だが「体力」さえ鍛錬されていれば、
生き延びる確率は飛躍的に高まるはずだ。
体力が鍛錬されていれば、
「完全に飢える前に」食事にありつける可能性が出てくる。
完全に飢えてからでは、もはや手遅れなのだ。
体力が無ければ、手遅れになる確率が圧倒的だろう。
「食糧を得るための本能」は、
野生に帰って少し飢えてくれば、自然に目を醒ます。
飢えてくれば、それは自然に起動するのである。
だが肉体が思うように躍動できなければ、
たとえ本能が目覚めても、
食糧を得ることは不可能に近いのである。
あるいは逃げることもままならない。
あるいは身を護ることもままならない。
だから問題は「体力」(身体能力)なのである。
野生に帰すプロジェクトは、
そういうことに着眼しているだろうか??
これからは、そういうことにも着眼して欲しい。
保護施設から放たれた動物は、分かっているのだ。
この先どれほど過酷な毎日が続くかを直感しているのだ。
おそらく自分が生き延びられないことも直感しているのだ。
「野生に帰す」ニュースを目にするたびに、
放たれた動物の決死の覚悟が、ありありと伝わってくる。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:10:11 ≫