<<深野性>>
Polar Eskimodog
 
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<<1994 北極エスキモー犬 「王嵐:OLAN:一歳半」>>
頭骨に非常に厚みがあったが、これは本種の雄の特徴である。
本種の雄は重厚な骨格である。しかし動きは非常に素速い。
そうでなければ、北極犬世界では生きていけないのだ。
 
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毎日10kmから20kmを運動した。冬期は犬ゾリ運動も行なった。
鍛錬体重で45kgくらい。とにかく「力の塊り」であった。
彼は雄の北極エスキモー犬としては普通くらいの体格である。
なにしろ55kgを超える雄犬もいたのだ。
北極ソリ犬として生き抜くには、体格は重大条件である。
ただし「素速く動ける大型」でなければ生き抜けない。
※平均的体格の雄のシベリアンで27kgくらいだろう。
※平均的体格の雄のマラミュートで40kgに近いだろう。
ところで本種にとって最も重大な環境は「寒気」である。
彼らにとっては「暑さ」こそが致命的な最悪環境である。
彼らは「北極犬」として極限の進化を果たしたのである。
 
 
北極エスキモー犬は、
ペット産業領域で繁殖された「犬種」ではない。
世間の「ブリーダー」の作為とは無関係なのである。
だからペット界からは「雑種」と呼ばれたこともある。
いわゆるシベリアンハスキーとか、
サモエドとかアラスカンマラミュートとか、
そういった「犬種」とは懸け離れた動物なのである。
世間の嗜好や審美基準とは無関係の犬なのである。
毛色はどうだとか。毛並みはどうだとか。
スマートな方がいいとか、エレガントな方がいいとか。
サイズを小さくするとか。気性を穏やかにするとか。
服従訓練が容易な万人受けする気性にするとか。
そういうこととは無関係の領域を生きてきたのである。
ただただ「比類なく強靭な北極ソリ犬」だったのである。
彼らに求められるものは、それだけだったのである。
だから荒荒しい個体も多かった。
闘志も強烈だし、狩猟本能も強烈である。
野性的ではなく、野性そのものだったのである。
そうでなければ、生きてはこれなかったのだ。
彼らは幾千年に亘り、生死の境界を生きたのである。
私は北極エスキモー犬と家族として暮らしたが、
私は彼らの強烈な個性を厳然と了解した上で暮らした。
それを認めなければ、彼らを全否定することになるのだ。
彼らの幾千年の苦闘の歴史を全否定することになるのだ。
彼らの野性と剛胆は、世間には全く不向きである。
彼らは世間で飼育されるには著しく不適合なのだ。
彼らは全否定されて飼い殺しの悲劇となるだろう。
それは火を見るよりも明らかなのである。
だが幸いにも、彼らは世間に出ることは無かった。
「雑種」と呼ばれたことが、逆に幸いしたのである。
因みに本種には極地狼の血も混入しているが、
本種の気性は「狼犬」とも異なる独特のものである。
ある意味で狼犬よりも難しい部分を持っていると言える。
私は本種の荒荒しい野性美が大好きだが、
それが世間の審美基準から懸け離れているとしても、
そんなことは私には一切関係ないのである。
それは幾千年の命懸けの道程の結晶なのである。
それは繁殖家の作為など通用しない領域なのである。
 
もはやグリーンランド北部などの北極現地でも、
「本来の北極エスキモー犬」はいないと言われている。
彼らはついに人間達から感謝もされずに、
その苦闘の歴史の幕を閉じたのである。
あれほどまでに人間達を命懸けで助けてきたのに、
一片の敬意も感謝も無いままに使い捨てられたのだ。
無慈悲に利用された挙句に邪魔者扱いされたのだ。
だから私は、彼らのことを書いている。
世界中の誰も彼らの真髄を書いてくれないから、
だからこうして自分で書いてきたのだ。
これが彼らへのレクイエムである。
 
今は亡き「雷:ライ」という北極エスキモー犬は、
その生涯で「三回」くらいしか吠えたことが無い。
「ロアー」では語ったが、「ホウル」では歌ったが、
しかし「バーク」で吠えることは無かったのである。
「吠えることを知らない」と思えるほどに無言だったのだ。
それはなぜかというと、自信と覚悟の塊りだったからだ。
「いつでも命懸けで闘える」という自信と覚悟だったのだ。
いつでも彼は、ただ相手を眺めているだけなのであった。
私はそこに北極犬世界の壮絶な苦闘を垣間見たのである。
彼は本物の覚悟というものを教えてくれたのである。
北極エスキモー犬の深野性は、我が胸に刻まれている。
それは人人には理解され難い領域かも知れないが、
私はその深野性を心からリスペクトしている。
そして私は、彼らへのレクイエムを捧げる。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:08:29 ≫