<<魂の森>>
この森は、魂に満ち満ちている。
自分と犬達と山獣達は、
魂に満ち満ちた世界に棲んでいる。
まるで星座のように無数の魂達が、
この森に満ち満ちているのである。
なぜ魂達が現われてくれるのか。
なぜ魂達が見守ってくれるのか。
なぜ異世界から訪れてくれるのか。
もちろん時間も空間も超越して、
あらゆる次元を瞬間に超越して、
わざわざ訪れてくれるのである。
ありがとうございます。
深く深く心から感謝しています。
我家の犬達は、とっくの昔から知っているのだ。
とっくの昔から、ずっとその目で見てきたのだ。
その心で、魂達からの伝言を聴いてきたのだ。
もちろん山獣達も、大昔から魂達を知っているのだ。
そしてこの自分は、どうにかやっとの有様で、
おぼろげながらも魂達を感じるようになった。
ありがとうございます。
深く深く心から感謝しています。
三日前の夜に、もう一度写真を撮ってみた。
その夜もたくさんの光が見えたから、
もしかして写るんじゃないかと感じたのだ。
撮ろうという下心で見ていた訳では無いのだ。
もし下心があったら、そもそも見えなかっただろう。
まるで星座のように無数に写っていたが、
肉眼ではもっともっと大きく輝いていた。
写真での光はとても小さいので、
よく分からないかも知れないが、
かろうじて写った小さな点たちは「魂の光」である。
これまでは写真に撮ろうとは思わなかった。
「写らないだろう」と感じていたのである。
それが写ったので、自分でも驚いている。
これは完全に「夜の森の中」なのだ。
我家の周りに現われた光達の写真なのである。
これは「夜空の星座」では無いのである。
ところで先般の記事では「精霊たち」と書いたが、
ほんとうは「動物達の魂」だと感じている。
はてしなく無数の動物の魂達が、
この「野性界動物寺」に来てくれていると感じるのだ。
この狼山道院は、つまりそういう世界なのだ。
全世界の動物達のことを祈り続けてきたのである。
ただただ一心に、それを祈り続けてきたのである。










「いったい魂とは何なのか??」と、
世界中で「魂」について論じられているが、
どれほど頭で考えたところで、
どれほど思考で研究したところで、
魂のことなど永遠に分からないだろう。
「実感」以外に魂を分かる手立ては無いのだ。
己の実感だけが、魂を知る唯一の道なのだ。
実感無しに論議したところで意味など無いのだ。
魂は霊よりも大元の「核」だと感じる。
霊は時には人に認識され易いような形になるだろうが、
魂は「核」だから、そのような形には表現されないだろう。
魂はどこまでも純粋な「核」なのだと感じる。
この自分は、そのように感じている。
※ただし、ここで使用した「霊」という言葉は、
あくまでも「世間一般の概念の霊」のことである。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:08:21 ≫