<<犬身洞察>>
飼主は愛犬の身体を知っておかねばならない。
常日頃から深く深く洞察していけば、
もし変調した時には即座に分かるはずである。
そしてなぜ不調になったかが想像できるはずである。
その犬の身体が何を訴えているのかが分かるはずである。
その犬の身体が何を求めているのかが分かるはずである。
自分自身で真剣に見る姿勢が重大だということだ。
そして自分の「見る目」を練磨していくべきだということだ。
最初から病院診療に依存していると、見る目が育たない。
いつまでたっても、自分の愛犬の身体さえ見れなくなる。
どんどん自分の「見る感覚」が失われていくということだ。
どんどん自分の野性感覚が失われていくということだ。
歩き方はどうか?走り方はどうか?
姿勢はどうか?挙動はどうか?
耳の雰囲気は?尻尾の雰囲気は?
毛艶は?毛力は?表情は?目の輝きは?
体温はどうか?鼻や口唇内側の体温感は?
全身を触診した時の犬の反応はどうか?
全身を手指で触診した感触はどうなのか?
そして何よりも「元気」はどうなのか?
たとえばそういったことを全集中力で見ていく。
もし身体に変調があれば、
たとえば歩様にも必ず影響が現われるのだ。
たとえそれが僅かに微妙な兆候でも、
飼主に洞察力があれば見抜けるのである。
そしてその原因も、ある程度は想像できるはずである。
それが病院診療を要するものか判断できるはずである。
あるいは安静こそが重大なのか判断できるはずである。
その犬の身体を知っていれば、的確な判断ができるのである。
ところで飼主たちは、
犬が「禅境」に入って身体を回復させることを知っているだろうか。
禅境に入ると、身体の潜在力が最高度まで発揮される。
動物たちは結局、己の潜在力で己を治すのである。
だから己の潜在力を最高度に発揮させる必要があるのだ。
だから動物たちはアクシデントの際に、必ず禅境に入るのだ。
そういうことを、飼主たちは知っているだろうか??
周りが余計なお節介で騒ぎ立てて、
犬の禅境を邪魔している場合も多いのでは??
動物にとって禅境は不可欠に必要である。
それはなにもアクシデントの際だけではない。
日常に於いても、その時間が絶対に必要なのである。
楽しく賑やかなだけが犬の喜びの全てではない。
あるいは躍動するだけが犬の喜びの全てではない。
犬は本来は、禅境の時間も求めているのである。
身体と精神の躍動と身体と精神の禅境は、
「どちらが大事」ではなくて「どちらも大事」なのだ。
そういうことも、飼主たちは知っておくべきだと思う。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:08:12 ≫