<< 心観森羅 >>
 
夏になると、森の地面で寝ることも多い。
テントなどには入らずに、そのまま地面で寝る。
そうすると森と一体となって寝れるのだ。
ここは標高1300mだから、
深夜になれば涼しいどころではなくなるが。
 
いろんな動物の気配が近づいてくる。
地面に寝ていると、ダイレクトに分かる。
小さい動物も来るし、大きい動物も来る。
彼らの野性の純情が、この胸に伝わる。
彼らの想いが、ありありとこの胸に伝わる。
そして彼らはゆっくりと、心静かに去って行く。
時には「姿無き小鳥」も頭上を舞う。
真夜中に舞いながら歌ってくれるのだ。
その小鳥は昼間にも現われるが、姿は見えない。
頭上近くを舞っていても、姿は見えないのだ。
ただただ清らかな歌声が聴こえるだけなのだ。
そして時には、「姿無き大鳥の羽ばたき」も聴こえる。
姿無き大鳥の重い羽ばたきの振動が空気を揺らす。
その大鳥もまた、どこを探しても姿は見えないのである。
もちろん、ラップ音も、あちらこちらで。
もちろん、不思議な光も、あちらこちらで。
この森の夜とは、そういう夜である。
 
この森で、心観森羅に入る。
深静境で大自然を心観する。
目に見える事象のその奥の、
大自然の心の世界を心観する。
いろんな動物たちが心に映る。
熊も狐も猪も、そしてカモシカも。
カモシカも、よく現われるのだ。
22年前に野生のカモシカに出逢った。
林道から入った森の奥に、
雌の成獣のカモシカが、うずくまっていたのだ。
静かに近寄り、そのカモシカを抱きかかえた。
大きくて重かったが、渾身の力で抱き上げた。
抱いて車まで歩き、そして慎重に彼女を乗せた。
その時はワンボックス車だったので、
幸いにも乗せることができたのだ。
ルームミラーを見ると、
彼女はじっと私の背中を見つめていた。
彼女の容態は芳しくないと感じたが、
しかし静かに安らかに私を見つめていた。
私はそのまま動物病院に向って走った。
だが彼女は三日後に、その病院で他界した。
そのカモシカは、夢に現われるようになった。
心観森羅の時にも現われるようになった。
彼女の魂は、元気一杯に輝いている。
なによりそれが、とてもとても嬉しい。
まるで自分のことのように嬉しいのだ。
心観森羅では、いろんな動物たちが現われる。
いろんな境遇の動物たちが現われる。
途方もない苦しみに耐えている動物もいる。
途方もない悲しみに耐えている動物もいる。
どういう想いで生きているかが、ありありと分かる。
まるで自分のことのように感じるのだ。
まるで自分のことのように感じるのが心観森羅だ。
大自然の心の世界は、
ただ事象の観察では、知ることはできない。
表層の観察では知ることのできない世界があるのだ。
その世界を、人人に知ってもらいたいと思う。
その世界を知れば、何かが変わっていくと思う。
 
この森の夜は、いろんなことが起こる。
そしてこの森の夜も、刻一刻と明日に近づく。
朝の四時ごろになると、辺りの気配が変わってくる。
いよいよ、新たなワールドが始まるのだ。
この四時ごろというのが、どうやら境界のようなのだ。
物凄いエネルギーを感じる。
始動の際のエネルギーというのは物凄いものである。
毎日毎日、こうやって「NEW WORLD」に突入するのだ。
目には見えないが、まったく新たな世界が始まるのだ。
犬たちも、だいたいこの時間に起き始める。
彼らは静かなままだが、目を醒ましている。
彼らは本能で、新たな世界の始まりを知っている。
そして私は、彼らに朝の挨拶をする。
なにしろ「NEW WOLD」の始まりだから、
いい加減な気持では、犬たちの前に立たない。
どんなに疲労が残っていても、心胆に気迫を込める。
「静深大」で呼吸を整えて、犬たちに朝の挨拶をする。
ただ一心に、彼らに語りかける。
彼らは一途に真剣に、私を見つめている。
我我は今日を迎えられたことに感謝する。
今日という日を生きられることに感謝する。
毎日毎日、我我はそういう思いで生きている。
そして我我は、朝の運動を開始する。
運動を終えて小休止した後に、私は仕事に行く。
そして夕方に森に戻り、夜の山行に入る。
毎日毎日、こういう日常である。
だが同じような毎日に見えても、同じではない。
心観森羅の毎日は、毎日が新世界である。
毎日毎日、新たな領域に突入するのである。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:07:25 ≫