<< 今生寿命 02 >>
 
肉体は、だんだん衰えていく。
だんだん「今生の死」に近づいていく。
だが「精神」は、別である。
今生での精神の学びは、まだまだ続く。
肉体が衰えればなおさらに、
いよいよ精神の学びが重大になっていく。
肉体が衰えればこそ、
さらに精神の学びの意義が深まっていく。
肉体は老いていこうとも、
精神はどんどん輝きを増していくのである。
それが、美しさである。
それがほんとうの美しさを生んでいく。
たとえ肉体は老いていこうとも、
その内側の精神の美が表面にも現われる。
肉体を通過して外側まで現われるのだ。
その美しさは、見える人には、はっきりと見える。
それは、眩しいほどの美しさである。
 
老いたからといって、今生に「引退」は無い。
経済活動を引退したからといって、精神に引退は無い。
「余生は、ただ気ままに暮らしたい」などと願うだろうが、
そう願う人が多いかも知れないが、
いよいよ「精神の学び」が待っているのである。
これは「頭脳で学ぶ」という意味とは異なる。
頭脳での学習も含まれるが、それは「部分」である。
それは学びの「一部分」に過ぎないのである。
頭脳も「器官:変換器官」だから衰えていくだろうから、
著しく衰える前に「学習」は必要だろうが、
頭脳が衰えたあとも、精神の学びは続くのである。
たとえ頭脳が衰えても、精神は感応するのである。
精神は感応により、まだまだ学んでいくのである。
 
私は多くの犬たちを看取ってきた。
どんなに頑強で元気満満の猛者でも、
だんだん老いて死んでいく。
私は彼らのその姿を、この目と心で見てきた。
彼らがいかに精神の学びに真剣かを見てきた。
彼らは最後の最後まで、精神の学びを続けた。
彼らのその勇姿が、どんなに美しかったか。
たとえ身体は老い果てても、彼らは見事に美しかった。
そして死の数日前から、彼らは完全な禅境に入る。
彼らはもはや、今生での覚りの境地に到達する。
その至上の美しさを、この心に刻んできた。
悲しみの中で、この心に刻んできた。
悲しいにきまっている。かけがえのない家族なのだ。
私は胸が張り裂けそうな悲しみの中で慟哭した。
だがその悲しみの中で、心に刻んできた。
彼らは自らの命で、偉大な尊さを教えてくれた。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:06:19 ≫