<< 今を生きる!>>
  
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<< POLAR・ESKIMODOG >>
<< SPIRIT OF THE POLARWILD >>
 
 
「今を生きよう!」という言葉を、あちこちで見かける
迷いの中に彷徨う人が多いのだろうか??
悩んで力を失っている人が多いのだろうか??
確かに、「今を生きる」が最も重大である。
だがその意味を実感することは、なかなか難しいだろう。
それは最も重大だが、最も難しい領域だと言えるだろう。
 
華厳仏教は1700年前から「今!」を説いてきた。
全ての過去は、この「今!」へ昇華された。
全ての未来は、この「今!」に懸かっている。
「今!」に全てが入り、「今!」に全てが託されている。
「今!」の一瞬一瞬に、永遠が映り込んでいるのだ。
過去は、すでに過去であり、現存しない。
未来は、まだ未来であり、現存しない。
現存するのは、ただ「今!」だけである。
そこにあるのは、ただただ「今!」だけである。
だから「今!」は、とてつもなく貴重である。
それを疎かにすると、全てを失っていく。
なにより生きるための生命力を失っていく。
あるいは脱出至難な迷路を彷徨うことになる。
 
「今を生きる!」とはどういうことか??
シンプルに言えば、「余計なことは考えない」ことだと思う。
考えなくてもいいことを考えることは、余計なことである。
たとえば、余計な心配や詮索や猜疑のことである。
その時にそれを考える必要が無いなら、考えても無効である。
無効どころか、余計なことだから支障を呼び込む。
余計なことを考えていたら、さらに事態が悪化するだろう。
あるいは余計な考えに囚われていると、
心も身体も停滞することになってしまう。
停滞すると、心も身体も、途端に不調になるだろう。
停滞すると、心も身体も、途端に力を失うのである。
だから余計な事は考えずに、考えるべきことだけを考える。
そうすると、いろんなことが鮮明に見えてくるはずだ。
霧が晴れたように、視界抜群になるはずだ。
自分を、実感できるようになるはずだ。
自分の命を、実感できるようになるはずだ。
生きていることを、全身で実感できるはずだ。
自分にとっての的確な判断ができるようになるはずだ。
次次と迅速に的確な判断ができるようになるはずだ。
そうすると「迷い」というものとは別れることになる。
迷っている暇など無いことに気づくことになる。
今この時に考えるべきことだけを考える。
今この時にやるべきことに全力を傾ける。
とにかく今この時に、全集中力で集中するのである。
それが「余計なこと」だと知った瞬間に、それを振り切る。
振り切ることが難しいとしても、それに挑んでいく。
「振り切らなければ前進できない」ことを理解できれば、
それを理解できれば、いつか振り切れるようになるはずだ。
そういうふうな意識を持って日常的に練習していけば、
だんだんそういうふうなスタイルになっていくはずだ。
それがだんだん、自分にとって普通のことになっていくはずだ。
いままで気になっていたことが、気にもならなくなる。
そんなものは、気にもならなくなる。
別に意識しなくても、ごく自然にそういう状態になる。
縛られていたものから解放され、本来の自分を取り戻す。
囚われ人から解放され、自由自在に自分を発揮できる。
自分の心は、ほんとうの自由へと解放される。
それが、「今を生きる!」ということだと思うのだ。
 
だが「今を生きる!」には、決断の勇気が必要だ。
「今を生きる!」ということは、一瞬一瞬の決断なのだ。
だから勇気が無ければ、「今を生きる!」ことはできない。
勇気を振り絞るしかないのである。
誰にでも勇気は隠されているはずなのだ。
自分で振り絞ろうとしなければ、
その隠された勇気は登場しないのだ。
だからどこまでも、自分次第なのだ。
自分で自分の勇気を登場させるのだ。
この一瞬に「永遠」が潜んでいることを理解できれば、
それを理解できれば、勇気は必ず登場するはずである。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:05:19 ≫