<< 動物に対する社会意識 >>
 
社会の意識が変わらなければ何も変わらない。
人人の意識が変わらなければ何も変わらない。
社会の根本は意識であり、意識が社会を変えていく。
 
動物の尊厳を世に問うとき、つくづくそれを痛感する。
多くの人人は、まともに聞こうともしてくれない。
「動物???尊厳???」で終わることが多い。
「人が生きるにも大変な世の中なんだから!!」
・・・という理屈で締めくくられて終りである。
酒飲んで飽食してテレビを眺める生活でも、
「人が生きるにも大変な世の中なんだから!」と言うのである。
携帯で長話し、ゲームで時間を潰し、服飾や外食で散財しても、
「人が生きるにも大変な世の中なんだから!」と言うのである。
あるいは日常の世間で動物の尊厳など話題にすれば、
途端にその場が白け、気まずい雰囲気に支配されるだろう。
<<なんだよこの人!変だよ!動物愛護の人なの??>>
・・・たいていは、そんな目で見られて迷惑顔されることとなる。
未だに世間に於いては、迂闊にそれを話せない現実なのである。
人人の意識がそういう現実ならば、
社会の意識がそういう現実ならば、
動物の悲劇が減らないのも当然の話だろう。
それは不思議なことでもなんでもない。
それは人間社会の意識が導いた当然の結末である。
 
人間至上主義者は、「動物の尊厳」に嫌悪感を持つ。
愛護自称者の中でも、「人間至上主義側」の人がいる。
そういう人は、ことあるごとに「社会性」という言葉を持ち出す。
社会性を一歩でも逸脱すれば、それは反社会行為であり、
それは愛護ではなく「愛誤!」であると、ヒステリックに叫ぶ。
そもそも「愛誤」などという言葉を世に浸透させたのも彼らである。
だがその理屈は、元から破綻している。
この現実の人間社会が、悲劇を生み出しているのである。
人間社会の社会性が、動物の悲劇を生み出しているのだ。
そもそもその社会性が、動物を窮地へと追い込んでいるのだ。
その事実を無視して異常なまでに「社会性」を糾すことなど、
それは始めから動物愛護を否定しているということだ。
それならば、愛護を自称しなければいいのである。
最初から愛護否定者として喋れば分かり易いのである。
そういう主義者は、そもそも動物を理解できないのである。
動物の真情を理解できない者が、愛護などできようはずが無いのだ。
だがこの類の愛護家の言説に惑わされる人も多いようだ。
その類の愛護家は、非常に屁理屈が達者なのである。
動物を感性で感じることができない代わりに、理屈が達者なのだ。
だから己の直観力を持たない人は、彼らに容易に騙されるのである。
彼らは動物に対して、支配的徹底管理思想を基本としている。
人間社会が僅かでも不利益を蒙った瞬間に、支配者意識を剥き出す。
ペットに対しても家畜に対しても野生動物に対しても同じ姿勢である。
人類が「大自然:命たち」からの恩恵で生きてこられたという事実を忘れ、
その恩恵に対して微塵も恩義を感じることも無く、
自分たちは一片の代償を払おうともしないのである。
自分は一片の代償さえ拒みながら、相手には容赦無いのである。
彼らが言う「社会性」などというのは、そういう次元の話である。
 
簡単に言えば、人間社会は動物の尊厳を否定している。
だから動物の尊厳を世に問えば、社会との軋轢は避けられない。
それは尊厳を問う者の、現段階での宿命のようなものである。
それを分かっていないと、
旧来の価値観に囚われた大勢力に呑み込まれていく。
異端視されることを怖れ、白眼視されることを怖れ、呑み込まれていく。
呑み込まれていく人は、おそらく一杯いるだろう。
そうなれば動物の尊厳など、いつまで経っても今のままである。
保守勢力は、つまりそれを目論んでいるのである。
旧来の価値観に囚われた人人とは、言うならば保守勢力なのだ。
それは人間世界での保守革新右派左派の概念のことでは無い。
アニマリア世界から見れば、
旧来の価値観に囚われた旧態依然の思想者は保守勢力なのである。
保守勢力は、人間の身勝手な権利を、絶対に手放そうとはしない。
その傲慢至極な権利を、なんとしてでも手放さない魂胆のようである。
そのためには、手段を選ばぬ姑息な工作で世間を扇動するのである。
彼らは巧妙に作文するので、多くの人人は容易に騙されるのである。
 
このブログは、アニマリア世界から書いてきた。
だから人間世界の側から書いたものではない。
人間側から書いたものではないから、
読む人はおそらく、非常に分かりづらかっただろう。
感覚に違和感を感じた人も多かったと思う。
読む人が≪人間≫であればあるほど、違和感を感じただろう。
人間特有の価値観に染まった人ほど、大きな違和感を感じただろう。
人間側から書いた愛護記事なら、まだ分かり易かっただろうが。
だがそういう記事は、それが得意な人が書けばいい。
私には、そういう記事は書けないのだ。
アニマリア世界から見れば、
人間世界の「動物への意識」は、酷い!の一言である。
酷い!としか言いようが無いほどに、その意識は酷い。
だから本当なら、もっともっと烈しく抗議したいところである。
だがその憤慨を抑えに抑えて、おとなしく書いてきたのだ。
それでも≪人間≫たちは、相当に反感を抱くようである。
それほどに≪人間≫たちは、動物の尊厳を嫌悪している。
「意識」が変わらなければ、何も変わらないのだ。
人人の意識が少しでも変わってくれればと願ってきた。
だが人間の意識の傾向性は、強烈に頑固である。
ちょっとやそっとでは、変わっていかないようである。
アニマリア世界は、無理難題など要求したことが無い。
宥和精神を忘れずに、「せめて・・」の範疇で訴えるだけである。
だがその「せめて・・」の願いさえも、冷酷に無視されてきたのだ。
しかしそれでも、少しは意識を変えてもらわねば。
意識を変えることを、意識して欲しいのである。
意識が変われば、全てが変わっていく。
それによって人間世界は格段に変わっていくだろう。
世界は「政策」では、根本的に変わることはできない。
世界を根本から変えるのは、「人人の意識」である。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:04:20 ≫