<< 尊い光に涙する >>
 
四月十日になった。
この森は、まだ雪に覆われたままだ。
だが相当に積雪は浅くなってきた。
とうとうやっと、森の雪道が拓けた。
ようやく、車が走破できるようになった。
走破できるか、まだ半分不安だったが、
山岳四駆車が腹に雪を抱えながらも走破した。
まことに嬉しかった!!踊るような気分だった!!
三月の連続した大雪で山道が閉ざされてしまったので、
丸丸一ヶ月間、「リュック生活」だったのだ。
雪道の途中に車を置いて、
重いリュックを背負って車と犬舎を何往復もする毎日だった。
それは毎年の恒例なのだが、やはり気持ちは沈む。
この往復作業だけではない。大勢の犬たちの世話が延延と続く。
もちろんそれだけではない。生計のための仕事も待っている。
人間は私だけだから家事もあるし、粗末ながら食事の支度もある。
そういうことが重なって、気持ちは沈んでいく。
しかし沈みっ放しでは前に進めないから、
もちろん毎日気持ちを切り替える。
毎日毎日、新たな気持ちで雪道を歩いた。
毎日毎日、犬たちと共に新たな気持ちで歩いた。
 
「いったい、何のために生きているの??」
・・・・と人から聞かれ続けてきた。
30代の頃も、40代の頃も、50代の今も、聞かれ続けた。
話せば長くなるから、「犬と自然が好きだから」と答えてきた。
それは嘘では無いのだが、実態は苦しいことが九割である。
苦しいことが九割だが、この野性対話道を29年間続けてきた。
続けなければ分からないことが一杯あった。
ほとんどは、続けてこそ分かることだった。
続けることの意味と意義を、深く実感してきた。
だから人人から「????」と思われても、
ただの一度も「迷い」など抱いたことが無い。
それは自分でも不思議なほどである。
なぜかこの道に関しては、一切の迷いが無い。
いつも、尊い光を感じる。
心が震えるほどの尊い光だ。
思わず合掌してしまう、そういう尊い光だ。
リュックを背負って雪道を歩いている時も、
その尊い光を感じて沈む気持ちを奮い起こした。
 
この世に、とてつもなく厳かで尊いものがある。
この世とは、あの世も含めた大宇宙のことだ。
その大宇宙の尊い何かが、光となって現われる。
その尊い光を、見たことがある。
「たとえようも無い・・」とは、このことだ。
それはまさしく、たとえようも無かった。
ほんとうに、心が震えるのだ。
あまりの感動で心が慟哭するのだ。
その光を見たら誰もが言葉を失うだろう。
おそらく誰もが、心で慟哭するだろう。
その光は、そういう光である。
実は犬たちは、その光を知っている。
なぜ知っているかは、光だけが知っている。
犬たちと一緒にその光を見ることもあるが、
その時の犬たちは、明らかに光を知っていた。
犬たちもまた、心で合掌していた。
とてつもなく厳かで尊い光を前にして、
犬たちは静かに黙して心で祈りを捧げていた。
山の命たちも、もちろんそうだろう。
彼らもまた、尊い光を見ているだろう。
人知れぬ山の中に、人知れぬ深秘が訪れる。
それは人知れぬ、アニマリアの深秘だ。
 
いつもすぐそばに、冥界を感じている。
もうその世界に近づいているような気がする。
もう魂は、その世界に行きたいと言っている。
だがまだ、この世界で頑張り抜かねば。
南無華厳・・全世界の動物たちを祈る。
野性界の動物寺として、ただ一心に祈る。
それは人知れぬ、アニマリアの祈りだ。
人知れぬアニマリアの祈りに生きる。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:04:10 ≫