<< 感謝?本心?>>
いつも人人は「家畜に感謝している!」と言う。
それは本当に「本心」なのか??
人人は「感謝して肉を食べてる!」と言う。
それは本当に「本心」なのか??
もし自分が本心で感謝しているなら、
それは日常の全てに影響を与えるはずである。
日常の自分の全てにそれが反映されるはずである。
せめて家畜たちの境遇に想いを馳せるはずである。
昨年の東日本大被災で、
多くの家畜たちが地獄の苦しみの果てに死んだ。
今なお生き地獄の中で彷徨う家畜も多いらしい。
私にできることは何も無い。
せいぜい非肉食を貫くことぐらいである。
何もできないから偉そうなことなど言えないが、
だが疑問に感じることは言いたい。
普段あれほど「感謝している!」と叫んで肉を食う世間。
その世間は、どう感じているだろうか??
あるいは家畜の命を利用して金を稼いで生活する人人。
その人たちは、どう感じているだろうか??
その人たちも、日頃は「感謝!感謝!」と言っているようだが。
あるいは生産販売団体も、同様に「感謝」という言葉を使うようだが。
そういう団体は、何か行動を起こしたのだろうか??
行動を起こす資金ぐらいは持っているはずなのだが。
家畜のお陰で、さんざん稼いできたのだから。
「国政がどうしようもなく非情だから」とは、よく言われることだ。
確かに国政は、被災動物に対して、どうしようもなく非情だった。
おそらく、議会で「動物の話」が登場すると、
議員たちは総じて「?????」になるのだろう。
「なに??動物??動物を助けるの???」・・なのだろう。
おそらく議員たちはその議題には普段から縁遠いから、
「場違いだろ・・議題として恥ずかしいよ・・」となるのだろう。
議会全体が、おそらくそういう雰囲気なのだろう。
議員たちは「動物の尊厳」を思索する環境で育たなかった。
その環境とは、つまり「日本国」という社会のことである。
日本国自体が、「動物の尊厳」に無関心だったのである。
「家畜が彷徨うと被害を受ける。迷惑だから閉じ込めておけ!」
・・・と世間から苦情されれば、
行政はそのまま苦情通りに農家に「閉じ込めておけ」と命令する。
水も食糧も、そんなことは微塵も眼中に無い。
多くの家畜たちは、水も食糧も無しに苦しみ抜いて死んだ。
行政も世間も「それどころじゃない!」と、全く無視であった。
心やさしい人人は必死に救護を嘆願したが、
日本国にはほとんど聞き入れてもらえなかったようである。
いったい、どこに「感謝」があるというのだ??
その「感謝!」とは、本心では無かったということか??
今の日本国とは、つまりそういう国のようである。
議員たちもみんな「学校」に通ったはずだが、
その学校でも「動物の尊厳」など学ぶことは無かった。
社会のどこにも、それを学ぶ場所が無かったのである。
マスコミの人人もまた、同様にそうだった。
動物報道に関するキャスターのコメントも実に幼稚である。
局も番組編集者たちも、同様に著しく意識が低いようである。
国政もマスコミも世間も、つまり社会全体がそうだったのだ。
「ありがたく感謝して食べましょう!」という台詞が虚しい。
そのスローガンが、ひたすら白白しく聞こえる。
動物の尊厳を本気で考えると、
ほとんどの人に「奇人!」とか「偽善者!」とか呼ばれる。
「動物好き」を自称する人たちからも、そのように思われる。
日本国とは、そういう国のようである。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:04:06 ≫