<< 華 厳 唯 心 >>
 
一昨日から昨日にかけて大雪だった。
森は、さらに雪に埋もれてしまった。
山道の途中で車が前進不可能になった。
今回はスコップ除雪では到底追いつかない。
また暫くは、車を途中に置いて歩く生活だ。
リュックを背負って深雪を歩く毎日になる。
リュックにフードや水タンクを背負って、
車と犬舎を最低でも2往復はするのだ。
冬は必ず、こういう事態になるのだが、
とうとう今冬も、その日がやってきたのだ。
昨日は犬舎に辿り着くだけでも苦労した。
終いには足が上がらなくなるようだった。
森の犬舎は、当然ながら雪に埋もれていた。
だが犬たちは、いつも通り元気満満だ。
家族の頭数が多いから犬舎面積が大きいので、
除雪の作業は一週間くらい掛かるだろう。
まずは扉が開くようにしなければならない。
そして屋根の雪降ろしと犬舎内の除雪だ。
昨日は夕方過ぎからその作業を始めたが、
夜中の2時ころまで続けたが、そこで中断した。
とにかく仕事場には行かねばならないから、
森の除雪だけには専念できないのである。
仕事と除雪作業と犬たちの世話があるから、
ここ暫くは、ブログも更新できないだろう。
今日はなんとか、駆け足で書いてみる。
 
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ここはまだ森の手前の山道。 この先が難関山道となる。
 
 
「URAさん」から質問があったので、
ここで答えることにする。
 
唯識観と華厳唯心がどう違うのか。
それを私なりに簡単に答えてみる。
普通に説明すれば長大な文章になるだろうが。
 
唯識は、確か「唯識無境」である。
外界は意識が生んだ夢幻に過ぎない。
そして意識すらも、また「空:KUU」である。
だいたい、これが唯識観だと思う。
あくまでも基本は「空観」の範疇のようである。
 
華厳唯心は、「事事無碍法界」の唯心だろう。
「事法界:理法界:理事無碍法界:事事無碍法界」があるが、
ついには現象世界に舞い戻ってくるのである。
ただしそれは、ただの現象世界では無い。
理事無碍を通過した「別物の現象世界」である。
「空:KUU」の概念をも超えた超空世界である。
「真空」をも通過して現象世界に舞い戻るのである。
そこでは、「心」は厳然と「心!」である。
あらゆる現象も、厳然と「現象!」である。
とことん、現象世界を感じていくのである。
とことん、現象世界を心観していくのである。
そしてとことん、この現象世界を生きるのである。
そして華厳唯心は、「目指す」ことの尊さを説いている。
「あるべき姿」を、目指していくのである。
それは厳しい道だが、それが本来の道である。
その目指す姿は、そのまま仏なのである。
 
そこに苦しむ者がいれば、我が身を忘れて助けたい。
そこに悲しむ者がいれば、思わず抱き締めたい。
苦しむ者は、現に苦しんでいる。
悲しむ者は、現に悲しんでいる。
その苦しみを、その悲しみを、まさに我が身に感じる。
誰しもが、それを感じることができるはずなのだ。
そのとき心は、仏そのものである。
心はいつでも、仏になれるのだ。
心こそが美しい世界を生み出す母体なのである。
華厳唯心は、そういうことを言っている。
華厳空は、空を突き抜けた大悲空なのだ。
論空ではない大悲空の尊さを説いているのだ。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:03:06 ≫