<< 野犬の子ども >>
ある方から、お便りがあった。
東北被災地の野犬の子どもが保護されたという。
「生後8ヶ月」くらいだが、人馴れしないという。
「その映像を見て、とても不憫に思えた」という。
「山犬が人の元で幸せになれるのか?」と心配していた。
私はそのニュースは知らなかった。
テレビが無いので、その映像も見ていない。
しかし容易に、その光景を想像できた。
飼犬だった犬は、簡単には山犬になれない。
元飼犬の直子も、ほとんど同様だろう。
山で自活していくのは相当に困難なことなのだ。
まず、「身体能力」が求められる。
そしてもちろん、「野性感覚」が求められる。
それらが備わっていないと、生き抜くことは難しい。
その意味で、飼犬がいきなり野生犬となるのは至難だ。
ましてや現代犬種は長きに亘り、身体能力を削られてきた。
犬本来の躍動が困難な身体にされてしまった。
それがあるから、生き抜くことがさらに至難となる。
そしてさらに、「野犬駆除」の標的にされる可能性もある。
だからその子犬は、保護されて良かったと思う。
ただし両親が野犬だったのなら、
その子の感受性は普通の出自の子犬とは違う。
したがって、それを充分に理解してあげるべきである。
絶対に、短期間での「成果:人馴れ」を期待してはならない。
これはそういう生い立ちの犬の場合の、「鉄則」である。
もしそれができないのなら、それは「保護」ではなくなる。
「人馴れ」にどのくらいの時間を要するかは未知数である。
個体によって、これだけは全く違ってくるのだ。
個体によって反応は全く違うものとなるのだ。
しかしいずれにしても大基本は、「焦らないこと」である。
決してこちらから「人馴れ」を求めてはならないのだ。
それは人間側が求めるものではなく、「結果」なのだ。
「結果」ばかりを期待していると、自然体から遠ざかる。
人間側の「自然体」が肝心なのである。
個体によっては、何年も何年も掛かる場合がある。
それを考えれば、たとえば「何ヶ月」など微微たる時間だ。
たとえば「何ヶ月」など、そんな程度は努力に入らない。
保護を覚悟した以上は、それを肝に銘じるべきである。
そしてもうひとつ、忘れてはならないことがある。
一見では何の進展も認められなくとも、
「刻刻と犬の心境は変化している」ということを知るべきだ。
たとえその犬が「表現」に現わさなくとも、
その犬の内面は刻刻と変化し続けているのである。
そしてある時期が来ると、それがようやく表面に出てくる。
そしてそこから急激に進展が加速する場合がある。
その「時期」というのは、個体によって様様である。
その時期は個体によって未知数だが、
本気でその犬を見つめ続けていけば、
その犬の「内面の変化」は見えてくるはずである。
ただしそのときにも、成果を焦ってはならない。
もし私が保護者の立場だったら、
その子犬と一緒の部屋で寝る。
たとえ子犬が寄ってこなくとも、そんなことは関係ない。
「同じ空間で眠る」ということが意味を持つのだ。
何ヶ月寄ってこなくとも、そのまま続ける。
決して無理やり呼ぼうとはしない。
そうすると月日を追うごとに、だんだん距離が縮まるだろう。
そうすると自然に距離が縮まってくるはずである。
ただし何気なく寝ていながらも、
全集中力で全感覚で、子犬の心を心観する。
目を閉じていても、子犬の姿が見えてくるはずだ。
たとえ沈黙のままでも、そこに対話が生まれるはずだ。
子犬もまた、私の心を心観しているだろう。
全集中力で全感覚で、私の心を見ているだろう。
そういう生い立ちの犬が、
長い時間の果てに主人と絆を結んだとき、
それは格別な意味の絆となる。
それは言葉にできないほどの「感動」である。
その主人は、海より深い純情を知ることになる。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:02:13 ≫