<< 木 心 >>
 
今が一年で一番寒い時期だ。
この森の夜明けは零下20度レベルに入っている。
この記事をUPしたら犬たちの運動が待っている。
まだ真っ暗だから、頭にヘッドランプを着けて開始する。
酷寒の中で山を登り始めると、暫く息が苦しい。
なにしろ尋常な寒気では無いから、身体も驚くのだろう。
そしてここは標高が高いから、多少は空気も薄いのだろう。
何度かボトルの水を飲んで息を整える。
「気付けの水」だが、これが非常に効くのだ。
そしてだんだん、息が落ち着いてくる。
犬たちはいきなり全力疾走で身体をほぐすのだが、
彼らの強さにはまったく驚嘆する。
彼らと較べれば、この自分など虚弱動物である。
だが彼らには及ばずとも、頑張らねばならない。
なにしろこの森の冬を乗り切るには体力勝負である。
とにかく酷寒は「体力を奪う」のである。
酷寒の中では、どんどん体力を消耗していく。
身体が弱れば、おそらく一気に風邪を引くだろう。
そして風邪どころでは済まなくなっていくだろう。
そうすれば我家はアウトになるから体力勝負である。
だが疲労が蓄積して身体が動かない日もある。
仕事から帰って、いよいよ森に入った時、
疲労困憊の日には車を停めて、暫く気持を整える。
世話を開始すれば、何時間もノンストップだから、
その前になんとか気力を取り戻さねばならない。
小道の途中で車を停めて木木を眺める。
森の木木たちも懸命に頑張っている。
それがありありと伝わってくるのだ。
その木木たちの中に、「三兄弟」が立っている。
前置きが長くなったが、今日はその三兄弟の話である。
 
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木は、そこを動けない。
それが木の運命だ。
だが木は、それを嘆かない。
その定めを真正面から受け止める。
その定めの中で究極の努力を続ける。
僅かな可能性に向かって全身全霊で生きる。
木に潜む大自然の叡智が、その木を助ける。
大自然の叡智が木と一心同体となって生きる。
木がそこに生きているということは、そういうことだ。
 
森の小道から入った場所に三兄弟がいる。
その松の木は三兄弟で生きているのだ。
一本の根元から、三兄弟が育ったのだ。
それぞれは、本来と違って細い幹になった。
だがそれぞれに、雄雄しく立派に生きている。
それは大自然の叡智が描く絶妙の立姿だ。
三兄弟は、お互いに生きていけるように、
お互いに絶妙な配慮を努力し続ける。
それぞれが絶妙な方向を探っていく。
それぞれが絶妙な方向に伸びていく。
お互いに慎み深く、お互いに努力しながら、
お互いに生きていける道を探っていく。
一瞬一瞬に、不断に延延とそれを続ける。
一瞬一瞬に、共生の探索が続けられていく。
その結果が、絶妙のバランスを描く幹である。
だが単なる角度だけの問題ではない。
そこには無限に複合要素が関わってくるから、
そのあらゆる要素に対して刻刻と対応していく。
無限に変化する条件の中で刻刻と修整されていく。
その「計算」は、想像を絶した超難度領域である。
なにしろ刻刻と無限変化する条件の中で成長するのだ。
その中で刻刻と正確無比な答えを出していくのである。
とにかくそれは、人智の領域をはるかに超えている。
スーパーコンピュータでも足元にも及ばないだろう。
スパコンは与えられたデータの範囲で計算するが、
そのデータを元に精密な予測もするだろうが、
その範囲では驚異的な能力を発揮するだろうが、
つまりはその範囲内での話となる。
大自然は「無常」であり、一瞬一瞬に無限に変化する。
一瞬一瞬の無限の変化とは、もはや想像を絶した領域なのだ。
森羅万象の全てが刻刻と関わる果ての無限変化なのだ。
その想像を絶した領域で、三兄弟は生きてきた。
大自然の叡智の元に精妙極まる成長を果たした。
そしてそこには、生きる使命を果たそうと頑張る「意志」がある。
そこに意志があるからこそ、大自然の叡智が宿るのだ。
その絶妙の立姿を、心からリスペクトする。
その偉大な意志に、心からリスペクトする。
大自然の不可思議な叡智を眼前にすると心から感動する。
<<写真だとその「バランス」が見えないかも知れない>>
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:02:03 ≫