** 山 の 魂 **
 
元旦の山行は深夜だった。
強烈な寒気の深夜山を歩いた。
さすがに、全身が凍るようだった。
その夜は、いろんな動物と出逢った。
キツネとカモシカとイノシシに出逢った。
もう真冬だから、熊さんはいなかったのだ。
 
実に神秘的な夜だった。
まったくここは、別世界である。
最初にキツネが同行してくれて、
キツネが消えるとイノシシが同行してくれて、
イノシシが消えるとカモシカが同行してくれて、
カモシカは森の犬舎付近まで着いてきてくれた。
こんなにみんなが同行してくれるのは初めてだ。
みんな、独特に美しい。
とにかく山の命は独特の気配に満ちている。
みんなどうやら、何とか食えているようだ。
よかった!本当によかった!
冬になると、そればかりが気になるのだ。
山の命たちが食えているのかが。
決して楽に食えている訳では無いのである。
みんな懸命に、渾身の力で頑張っているのだ。
それが分かるから、胸に熱いものが込みあげる。
だから一緒に歩きながら、
心の中で彼らにエールを送る。
心で華厳を唱えながら彼らと歩くのだ。
 
我家の犬たちは、彼らのことを知っている。
だから彼らが近づいても無闇に騒いだりはしない。
彼らがどういう命であるかを、知っているのだ。
朝になれば犬舎の周りには、
山の動物たちの足跡が雪に残されている。
いろんな足跡が刻まれているのだ。
本当なら、彼らがここに来る理由は無い。
彼らの食糧など、ここには無いのだ。
だが、どういう訳か、訪れるのである。
実は遊びに来るのだ。実は挨拶に来るのだ。
山の動物たちと我我は、友だちなのだ。
犬たちは彼らが帰ると、ホウルを歌う。
ホウルを合唱して、別れを惜しむのだ。
そのホウルの歌を、帰る彼らは聴いている。
去り行く彼らが、聴いているのである。
それがはっきりと分かる。
彼らのその姿が、心に浮かぶのだ。
 
社会は山の動物を、
「害獣」という言葉でしか表現しない。
害獣と呼べば都合がいいからだ。
山の動物にどんな事情があるのかを、
どれほど頑張って生きているのかを、
社会は決して知ろうとしない。
知ろうともしないのに、
誰もが口では「共生!」と謳う。
人人の裏腹な言葉を聞くと、
ただただ虚しく悲しくなる。
山の動物たちの心境も知らないで、
あるいは知ろうともしないで、
なんで共生などできようか。
人人の本心を、
動物たちは見抜いているだろう。
人人の冷酷な素顔を、
山の魂は見抜いているだろう。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2012:01:04 ≫