<<歌唱者:テッド・ニーリー>>
 
<< 菩 薩 覚 悟 >>
 
「テッド・ニーリー」は、おそらく六十代後半だと思う。
その人が、おそらく「G 5」の高音を、振り絞る。
その人は、「JCS:ゲッセマネ」に人生を賭けてきた。
前記事で紹介した「スティーブ・バルサモ」も凄いが、
テッド・ニーリーの表現には、また別の感動がある。
 
撮影者が、泣いている。
声を押し殺して、すすり泣いている。
私はその人の心情を感じて泣いてしまう。
その人の慟哭に、心打たれるのだ。
 
「JCS:ゲッセマネ」の歌唱者たち。
私は彼らの歌唱に、菩薩の姿を見る。
「背負う者」の決意と覚悟を見る。
その決意と覚悟に、激しく感動する。
背負うということが、どういうことなのか。
どれほどの勇気が必要なのか。
人人に理解され難い領域を、
ただ独り突き進む「背負う者」の孤独。
歌唱者たちは、見事にそれを見せてくれる。
私の描く菩薩は、そうである。
人人に理解され難い茨の道を突き進む。
なぜなら、菩薩が皆に理解される世界なら、
もはや菩薩の登場は必要ないのである。
そうでない世界だから、菩薩が舞い降りるのである。
菩薩は、地獄の底まで降りていくという。
そこは魔者が支配する暗黒世界である。
艱難辛苦を承知の上で、そこに降りるのだ。
菩薩とは、ただ微笑んで立ってる存在ではない。
菩薩の苦悩と悲しみと苦しみと、
そして偉大な決意と覚悟を、
この歌を聴きながら痛切に感じるのである。
これは「ジーザス」の歌なのだが、
もちろん私も深くジーザスを想うが、
華厳者である私の胸には、
同時に菩薩の姿が浮かぶのである。
私はこの歌唱者たちに、心から感謝している。
この歌唱者たちは、本心で歌っている。
湧きあがる本心で歌っている。
 
<<歌唱者:スティーブ・バルサモ>>
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:12:22 ≫