**命 の 歌**
 
我が家族に、
「證(証):しょう」という名の犬がいる。
「命の証」という意味を込めて名付けた。
早いもので、もう七歳を過ぎた。
犬の七歳は、もう若くはないのだが、證は元気満満だ。
この森は零下十度を超えるレベルに入ってきたが、
そんな寒気をものともせず、證は元気満満で躍動する。
 
證は、保護犬の子どもである。
生まれたとき證は、顕著に未熟児だった。
ひときわ小さく、そして行動感覚も非常に未熟だった。
独りで別行動してどこかに行ってしまうような傾向もあった。
「この子は育つだろうか?」という思いが頭を過ぎった。
だが、すぐにその思考を打ち消した。
證はもはや、我が家族である。
證の生命力を信じるのだ!!
證と一緒に生きるのだ!!
 
母犬のお乳を飲むとき、子犬は全力で飲む。
特に兄弟が多いときには、力が必要だ。
渾身の力で乳に辿り着き、渾身の力で乳を飲む。
赤ちゃん犬はすでに、
乳を飲む時から生きる試練に立ち向かうのだ。
これは「他者を押しのける」という意味では無い。
これは「他者との競争」という意味では無い。
結果的にそう見えても、実際は違うのだ。
どこまでも「己自身との闘い」なのである。
自分を諦めたら、そこで終わるのである。
そうやって子犬は、鍛えられていくのである。
そうやって「生きる力」を高めていくのである。
私はその当時、その母子たちと一緒に寝起きしていた。
だから出産の時から一部始終を見ていた。
子犬たちが生まれた瞬間から、ずっと見てきた。
そして證のことも、ずっとずっと見てきた。
 
證は、ほんとうに頑張った。
小さくて力も弱いのに、ほんとうに頑張った。
私は證が悪戦苦闘で乳を飲む時も、
できるだけ手を貸さないようにしていたが、
しかしそれでも、ほんの少しだけ、
機を見て證の態勢を整えてあげたりはした。
手助けと言えば、せいぜいその程度であった。
私は證がどのくらい乳を飲めたかをいつも観察したが、
證はなんとか、充分に飲めていた。
それは證自身の健闘である。
赤ちゃんの證は、ほんとうに頑張ったのだ。
その健闘により、證はどんどん大きくなっていった。
離乳食になっても、證はガンガン食べた。
他の兄弟たちも物凄い食欲だったが、
それに負けじと、ガンガン食べた。
その食事が自分の身体を造るのだと、
子犬の本能は知っていたのである。
そしてついに證は、
他の兄弟たちと同じくらいまで成長したのである。
 
證はその後も順調に成長したが、
しかし、他の犬たちと協調するのが下手だった。
證は兄弟同士ならいいのだが、
我家の別グループの犬たちとの協調が下手だった。
そしてかなり短気だった。
おそらく、まだ自信が足りなかったのだろう。
自信が足りないから、防衛本能が強く働くのだ。
だが集団の中でそういう傾向を続けると、
いつか大変に危険な事態を招くことになる。
證自身が危険に晒されるということだ。
だから私は、いつも注意深く證を見守った。
見守ると同時に、厳しく證を教導した。
證のために、厳しく教導したのだ。
そして證の身体を鍛えた。
力が高まれば、だんだん自信がついてくる。
だから證を鍛えていった。
證はどんどん強くなり、そして自信をつけていった。
そしてやがて、協調を覚えていったのである。
今では證は、他のみんなと自然体で仲良くできる。
その光景を見るとき、感慨深いものがある。
 
一日の終り、全ての日課を終えたとき、
私は證を抱き上げる。
「證!!! 頑張ったね!!!」と、
毎日欠かさず、證の健闘を讃える。
私は心から、證の健闘を尊敬しているのだ。
書き切れないほど、いろんなことがあったのだ。
證は自分の力で、それを乗り越えたのだ。
證は、私のことが好きでたまらない。
それは異常なくらいと言ってもいいほどだ。
證!!分かっているよ!!
證は、お父さんの子どもだよ!!
これからも、一緒に頑張ろう!!!
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:12:18 ≫