<< 狼 の 哀 歌 >>
 
「観察:ウォッチング」だけでは、
動物の心を知ることはできない。
心眼の「心観」でなければ、
動物たちの心境を知ることはできない。
このことをずっと書いてきたのだが、
なかなか分かってもらえないようだ。
「心観」に於ける姿勢についても書いてきたつもりだが、
それについても、なかなか分かってもらえないようだ。
最も重大な領域なのに、ほんとうに残念でならない。
もちろん現象観察は重要だが、
それは「心観」があってこそ意味を深めるのである。
 
昨夜は、あまり眠れなかった。
悲しくて、眠れなかったのだ。
眠れぬままに午前四時になり、
いつものように犬たちの世話と運動を始めた。
白い森は、零下12度だった。
だがそんな寒気も忘れるほど、心は悲しかった。
朝の日課を終えて、一心に華厳の祈りを捧げた。
ある狼の冥福を、ただ一心に祈ったのだ。
 
三年ほど前に北海道の人気動物園に、
「狼エリア」が開園したことは耳にしていたが、
私はなぜか、そこに一抹の不安を感じていた。
なぜかしら、不安が胸を過ぎるのである。
だからそこのHPを見る気になれなかった。
だからそのエリアの経過も知らずにいた。
その動物園の名を耳にするたびに不安が渦巻いたから、
あえて気に留めないようにしてきたのだ。
しかし昨夜、そのHPを開けてみた。
そして、ある雌狼の死を知った。
生前の写真を見ると、とても可愛かった。
その写真だけで、どんな子か分かった。
元元、虚弱体質だったという。
おそらく、未熟児に近い子だったのだろう。
そういう子は、一頭くらいは生まれるのだ。
そういう子は、身体は弱くても、
とても繊細な感性を持っているものだ。
たとえ生きる力は弱くても、
その深い感性は、ほんとうに宝物なのだ。
 
その子は、全く別の場所から来た兄妹狼と一緒にされていた。
その子の方が年長だったから、暫くは何事も無かった。
そして時が経ち、兄妹狼も成長した。
複数頭の場合、その関係は、常に微妙なバランスである。
いつ何が起こるか、常に予断を許さない。
そんなことは初歩の初歩の常識である。
そして、その子に、発情が来たという。
発情には、命が懸かっている。
なにしろ、命を宿し、命を生むのである。
命懸けの事態になることは、最初から明らかである。
このことを知らない人が多いようだが、
発情期には、命懸けの事態になるのである。
それを、当の雌狼は知っている。
狼でなくとも犬であっても、そんなことは知っている。
彼らは本能で、それを知っているのである。
発情を迎えたその子は、
もはや我が身の危険を覚っていただろう。
おそらく毎日、言い知れぬ不安と闘っていただろう。
子を生む使命と不安の中で、深く葛藤していただろう。
そしてついに、その日が訪れた。
狼舎の中で、その子は咬み殺された。
兄妹のどちらに攻撃されたかは不明らしいが、
おそらく一頭からの攻撃だったようだ。
そして全く応戦できないままに殺されたようである。
なんで一緒の狼舎に閉じ込めておいたのか??
その子と雄狼との交配を狙って、
それで夜は三頭一緒に狼舎で寝かせていたらしいが。
だが何かが起こることは、考えなくとも分かるはずだが。
逃げ場の無い空間が何を意味するのか、
そんなことは考えなくとも分かるはずなのに。
逃げ場の無い空間は、特別な事態を招くのである!!
無念である。ほんとうに無念である。
 
その子の生前の写真にも、
いくつかの傷痕が写っている。
その動物園に来る前の動物園でも、
攻撃を受けることが多かったのだろう。
なにしろ逃げられない特殊状況だから、
どんなに不安の毎日だっただろうか。
その子は、むしろ人が好きだったようである。
その子は、人との時間に、
ささやかな安堵を覚えたのだろう。
なぜその気持ちを、分かってあげれなかったのか。
そのささやかな安堵を、
なぜ専門家たちは察知できなかったのか。
無念だ。ほんとうに無念だ。
もし自分だったら、その子と絆を結ぶ。
その子の想いを、全身全霊で受け止める。
その子と対話し、狼の未知の領域を発見する。
専門家たちの多くは「できる限り野生に近く」と言う。
「できる限り自然状態を観察するべき」と言う。
だが、いったい何が野生で、何が自然なのか。
固定観念で野生を自然を決め付けては危険だ。
大自然は、野生は、そして野性は、
人間の想像とは違う領域も持っているのだ。
その想像とは違う領域に、秘密が隠されているのだ。
そんなことを、誰も言わない。
誰も言わないが、私はそれを見てきた。
だからその子の気持ちが、その子の悲しみが分かる。
無念だ。ほんとうに無念だ。
だから泣いたのだ。
その子の面影を偲んで泣いたのだ。
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狼は、一番強い雄と、一番強い雌が、夫婦になる。
その夫婦だけが、子孫を残していく。
そうやって「強い狼」を存続させていく。
これが狼の、厳しい掟である。
狼族が生き延びるための掟である。
他の者たちは、それを承知しているから、
いちいち不平不満を愚痴ったりはしない。
自信に溢れる実力者ならばボスに挑戦するが、
それがまさしく「命懸け」であることを知っている。
だがその場合でも、逃げ場は必要である。
これは闘いの最中にボスの座を諦めた者の、
その意思を表明するための逃げ場である。
もし実力が接近していれば、
ついには共倒れになってしまうのである。
「両者ともに死ぬ」ということになってしまう。
その事態を避けるためにも、
意思表明のための空間が必要なのである。
逃げ場とは、広い空間とは、そのように重大である。
 
因みに犬を「多頭飼い」している飼主も、
「空間」については非常に注意しなければならない。
「間合い」を取りたくても取れない狭い空間の場合には、
そこに意思表明のための充分な空間が無い場合には、
飼主は自然体を貫きながら常にその場の気配を洞察し、
先手先手で「流れ」をリードしていかねばならない。
呑気にしていたら、後の祭りになってしまうだろう。
なにしろ一瞬の油断で流れが変わる場合も多いのだ。
しかし、余計な緊張感もまた禁物である。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:12:11 ≫