<< 狼 と 犬 (02) >>
因みに「犬本来の感覚」を備えている犬は、
心の奥で狼を怖れる。たとえ平気に見えても。
あるいは熊の気配よりも、狼の気配を怖れる。
犬は本能的に、狼の実力を感知できるのである。
熊からの攻撃をかわすことはできても、
狼からの攻撃をかわすことはできないのだ。
そして一撃を受ければ、もはや振り切ることはできない。
そういうことを、犬は本能で直感するのである。
たとえば海外に「狼猟犬」と呼ばれる犬種がいるが、
人人は狼猟犬の実力を信じたいと願うが、
確かにその犬たちは大変な勇者ではあるが、
その犬たちこそが狼の強さを一番知っているのである。
狼の強さを知っていながら、立ち向かうのである。
狼はつまり、その犬の勇気を認めるのである。
だからもしその犬が一片でも弱気を見せたなら、
その瞬間に攻撃を受けることになるだろう。
その犬も、それを知っているのである。
だから気力を振り絞って、心を踏ん張るのである。
その勇気こそ、讃えられるべきなのである。
<単に「強い弱い」だけに興味を抱く人が多いようだが>
そういう精神境地については、どんな本にも書かれていないが、
野性の攻防は、精神境地が重大なファクターなのである。
もしそれが発育途上の未成狼だったり、
あるいは老境の小柄な雌狼だったり、
たとえばそういう場合なら狼猟犬にも勝機はあるだろうが、
健全に成長した雄狼に対しては、普通なら全く通用しないだろう。
なにしろ、まずはアゴと牙の頑丈さが違うのだ。
狼は「牙だけで」相手を倒すスペシャリストなのである。
その歴史を連綿と生き抜いてきた「プロ」なのである。
因みに海外の動物番組で、
犬や狼の「咬力」の測定番組があったが、
あれは単なる「娯楽番組」にしか見えない。
制作者も、あくまでも娯楽番組として制作したはずだ。
だいいち、彼らがどうやって「本気で」咬むというのだ?
本気と「まあまあ」では、当然ながら格段に数値が違う。
そんなことは承知の上で番組にしたのだろうが、
あれを真に受ける人も多かっただろう。
その類の番組は多いが、なにしろ測定方法が幼稚すぎる。
娯楽番組だから、それでいいのかも知れないが。
ところで狼と犬は異種間交配ができるが、その混血種はどうだろう。
<コヨーテと犬の混血も可能であり、「コイドッグ」と呼ばれる>
<コヨーテの体格や外貌は、狐と狼の中間のような感じである>
考えてみれば分かるが、その混血は極めて要注意である。
両者は互いに別別の進化を遂げた動物である。
普通ならば、それをわざわざ逆行させるようなものである。
それこそ「元の木阿弥」になってしまう危険に満ちている。
<G:シェパード>を生み出した「フォン・ステファニッツ」は、
「狼の血は、使役犬にとって百害あって一利なし!」と語った。
ステファニッツ氏は、ある意味で狼を見抜いていたと言えるだろう。
そしてもし混血で「有効な結果」が出たとしても、
それはあくまでも稀有な一例であり、
要望に該当しない個体は、淘汰される結末になるだろう。
要するに、その稀有な一例を生み出すために、
他のほとんどの命を「犠牲」にするということである。
そんな冷酷非情なことをできる人がいるだろうか?
いや、そのような人たちも、いるだろう。
考えてみれば「犬種作出」も、それと同じだったのだから。
「犬種」もまた、そのように作られてきたのである。
ところで昔、「狼犬」というのがマニアに流行った。
しかし、飼い切れない人が多かったようだ。
あるいは「閉じ込めっぱなし」になる人が多かった。
犬に近い飼い方ができるのは、内面が「犬」の場合であり、
内面が「狼」の場合には、犬のような飼い方は無理なのだ。
私の元にもいろんな相談が舞い込んできた。
しかし真摯に応えても、裏切られることが多かった。
私の真意は、マニアたちには通じなかったようである。
要するに狼と犬は、方向性が違う。
両者は全く別方向を目指して生きてきたのである。
それを分かっていないと、判断を誤ることになる。
だが稀有な例として、古代系北極犬に狼の血が入っている。
これは「POLAR ESKIMODOG」のことである。
<現代のシベリアンやマラミュートのことではない>
そもそも北極には犬など生息していなかったから、
だんだん北極犬の血が濃くなっていくから、
そうすると顕著な弊害が生じて「力」を失っていくから、
そうすると現地人の生活が成り立たなくなるから、
強い北極犬に回復させるために、時に狼の血を入れたのだ。
しかし現地人は、狼が猛獣であることを知り抜いていた。
だから早期に個体を見切り、酷薄に淘汰を重ねた。
それでも、当然ながら馴致困難な個体は出現する。
犬でも狼でもない独特の獰猛性も出現するのである。
現地人は、それも予見した上で狼を入れたはずである。
その時代には屈強な北極犬が命綱だったのである。
しかし今では、そのような北極犬血統は絶滅に近いと言う。
もう時代が、そのような血を必要としなくなったのだ。
荒荒しい野性の力は、逆に嫌われるようになったのだ。
何千年に亘り、あれほど人間を助けてくれたというのに。
まことに残念ながら、感謝すらもされていないようである。
私は北極犬が世に出なくて良かったと思っている。
もし世に出れば、不幸になる確率が圧倒的だっただろう。
彼らの野性を心から理解できる人は極めて少ないだろう。
だから門外不出で良かったのだと、心から思うのだ。
狼の実像は、書庫「狼の魂」の≪狼の歌≫にある。
これはアメリカンネイティブが綴ってくれた歌である。
その人は全霊で綴り、「これが狼だ!」と断言した。
だが残念ながら、この歌に共感してくれる人は少ない。
日本では、この歌を分かる人が少ないようだ。
ここに狼の真髄を感じ取れる人が少ないようだ。
まことに残念であり、まことに寂しく思う。
あるいは、狼を侮る人が意外に多いようだが、
狼を侮るということは、大自然を侮るということである。
狼は大自然の申し子であり、大自然の結晶である。
※なお、この記事の標題については、
書き始めると終わらなくなってしまうので、
途中で切り上げることにした。
だからちょっと中途半端な記事になってしまったが、
あまり長くなってしまうと、読むのも大変だと思うから、
このくらいに抑えることにした次第である。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:12:08 ≫