<< 狼 と 犬 (01) >>
 
狼と犬が、どれくらい違うか?
遺伝学的には、狼が犬の先祖だと言われているが。
DNA的には、狼と犬は変わらないと言われているが。
私が感じるには、両者は「親戚同士」だと思う。
両者の共通の祖先がいて、
そこから狼と犬に分かれて別別の進化を遂げたのだと思う。
何も無理やり狼を犬の先祖に決め付ける必要は無いと思うのだ。
それとも、狼が先祖であって欲しいという願望があるのだろうか。
私が感じるには、犬の先祖は「原始野生犬」だと思うのだが。
人間に親近感を覚える傾向性を持った動物だったと感じる。
なにしろ、狼は基本的に人間の気配を非常に嫌うのである。
たとえば海外の動物写真家は口を揃えて、
野生の狼を撮るのは至難だと言っている。
あらゆる野生動物で最も撮影が困難だと言っている。
とにかく狼は人間の気配を極端に嫌うのである。
人間に迫害された歴史を背負うからかも知れないが、
ただそれだけの理由では無いはずである。
 
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<<北方大型狼:想像を絶した実力の面影:剥製:冥福を祈ります>>
 
狼と犬が、どれくらい違うか?
それは別世界で別次元だと思う。
まず、両者の日常生活を考えれば分かる。
赤ちゃんの時から死ぬまでを考えれば分かる。
それがどんな毎日であるかを考えれば分かる。
その歴史がどれほど続いてきたかを考えれば分かる。
とりわけ両者の「赤ちゃん時代」を見比べれば、
両者がいかに別の生き物であるかが分かるはずだ。
これまで、さまざまな犬種の赤ちゃん時代を見てきたが、
しかし北方狼の太郎の赤ちゃん時代と比較すると、
たとえそれがどんな犬種であっても、
一言で言えば犬の赤ちゃんは「華奢過ぎる」のである。
身体の頑丈さも。身体の力も。身体の動きも。
歯牙の頑丈さも。歯牙の大きさも。歯茎の盛り上がりも。
乳歯でありながら幼狼の牙や門歯は、圧倒的に大きい。
そしてそれの将来の大きさを暗示するように、
その歯茎は異様なまでに盛り上がっている。
その乳歯の大きさと身体の頑丈さを見ただけで、
犬とは完全に別世界の生き物であることが分かる。
強力な猛犬種と呼ばれる犬でも、
赤ちゃん時代を比較すれば、狼とは比較にならないのだ。
そして「エネルギーの大きさ」が違う。
赤ちゃん時代のエネルギーの大きさが根本的に違うのだ。
どのくらい違うかと言えば、別世界としか言いようが無い。
 
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<<1988:太郎:一歳半:発育途上>>
 
狼はスマートに見えるから、非力だと思う人も多いだろう。
だが太郎の力は、犬とは異次元だった。
太郎の子狼時代のエピソードは無数にあるが、
とても紹介し切れないほどだが、
とりわけ「アゴの力」は衝撃的だった。
彼が生後八ヶ月くらいに狼舎を作り変えたが、
狼舎の中の寝小屋の床は確か「24mm」ほどの厚板で、
その板はフレームに「スクリュー釘」で厳重に縫われていたが、
太郎を狼舎に入れて10分もしない内に、
その床板の全てを引き剥がし、そして木っ端微塵にしてしまった。
何十本の長いスクリュー釘が、全く役に立たなかったのである。
そしてまた寝小屋の天井は、コンパネ板の内側と外側を、
厚手のブリキ鉄板で挟み、ビスで厳重に縫ってあったのだが、
ものの何十分で太郎は、それを見事に食い破ってしまった。
しかも下から天井を見上げた不自由な態勢で食い破ったのだ。
「まだほんの八ヶ月の子狼時代」にである。
あるいはやはり子狼時代に、
<その二十数年前は、まだ低山に住んでいたのだが>
<移住後の標高1300mエリアでは、杉は無いのだが>
彼は杉の大木の、その一番下の一番太い枝を、
咬んでそのまま引っ張って、もぎ取ってしまった。
大きな杉の一番太い生枝は、もぎ取れるものではない。
杉枝は粘るから、松枝のように折ることはできないのだ。
それを子狼は、咬んでそのまま後方にもぎ取ったのである。
ただアゴが強いだけでなく、全身の筋力が凄かったのである。
その大きな牙を生かし切るために、全身が強力だったのだ。
因みに別の雄狼は、太郎よりも小柄だったが、
「5㎜径の溶接鉄網」の檻を、咬んで引っ張って破壊した。
ところで太郎の牙は、根元が異様に太かった。
その牙はガッシリとアゴに埋め込まれていた。
よく「鋭い牙」という表現を見かけるが、
鋭いというよりも、なにしろ大きく頑丈なのである。
狼には「そのまま咬み砕く」闘争方法もあるのだ。
もし狼が犬と本気の闘争になれば、
咬み合うのでは無く、そのまま咬み砕いてしまうだろう。
特に雄狼は、そういう潜在力を秘めているのである。
狼を一見しても、そういう力は感じないかも知れないが、
狼は異次元の力を秘めているのである。
それは考えてみれば分かることだ。
野生の狼たちが、いったいどれほど鍛錬してきたか。
赤ちゃんの時から死ぬまで、命賭けの鍛錬が続く。
その歴史が果てしなく連綿と続いてきたのである。
それがいかに犬の日常と違うかを考えれば、
狼の力が容易に想像できるはずである。
「狼は群れで無いと闘えない」と錯覚する人も多いようだが、
もし狼が覚悟を決めたなら、単独でも死力を尽くす。
群れであれば群れの戦法で闘うが、
単独で窮地に陥れば、単独の闘いを覚悟するのである。
そして狼は一頭でも、犬とは比較にならない実力である。
ツワモノ揃いの野生界で、
猛獣としての立場に位置するということは、
並大抵の実力では無理なのである。
そこら辺を分かっていない人が多いようである。
真正狼は、コヨーテやジャッカルとは、
野生界での「ポジション」が全く違うのである。
ポジションの違いによって、「力」が違ってくるのである。
大自然を観るとき、このようなことも知っておくべきなのである。
 
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<<1991:太郎:四歳:私の言葉を聴いている>>
 
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<<1990:太郎:三歳:4kgの食事の直後:骨格は重厚です>>
 
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<<1988:太郎:生後10ヶ月:子狼時代>>
 
大型の雄狼は、大型でも閃光のように素速い。
犬は、大型だと動きが鈍くなる。
そこからして、すでに違っている。
<中には「例外的な大型犬」も確かにいるのだが>
たとえば超大型犬の動きなど、
狼からすれば「止まっている」ようなものである。
大型狼は自身の体格を素速く動かせる筋力を持っているが、
超大型犬は、そのような筋力を持っていないのである。
そして「運動神経」が、比較にならない。
これは本当に、比較にならない。
運動神経というか、とにかく狼は「反射力」が凄い。
たとえば狼の前に立って、突然に左に動いたとする。
あるいは、突然に右に動いたとする。
狼はその動きに、一瞬の誤差なく反射する。
しかも狼は、自然体のままに平然と反射する。
それはもう、本当に異次元の反射力である。
あるいは目も眩むような切り立った崖を登る時、
あるいはその崖の頂上から駆け降りる時、
あるいは川面高く架けた細い丸太を渡る時、
あるいは小屋の屋根に飛び乗ってしまう時、
それらを「平然と」やってのける大型狼に、
ただただひたすら脱帽したのである。
脱帽というか、唖然としたのである。
狼は異世界の動物だと、思い知らされたのである。
因みに太郎の体格は、一歳ころに肩高が「83cm」だった。
まだまだ発育途上だったが、計ったのはその時だけだ。
立ち上がると、おそらく190cmは超えていた。
狼は犬よりも頭胴長が大きいのである。
長いというのではなく、「大きい」のである。
体重は生後7ヶ月ごろに「47kg」はあった。
それ以降は計れなかったが、どんどん発育した。
記憶としては、三歳くらいまで大きくなっていった。
私はとにかく、運動を欠かさなかった。
この自分の限界くらいまで、太郎と運動を共にした。
それは自分にとっては苦行のような毎日だった。
家に帰れば、疲労で全身に寒気が起こるほどだった。
しかしその日課の御蔭で、彼は健全な体躯に育ってくれた。
健全に育つには、「食事と運動と環境」である。
そのどれが欠けても、健全には育たない。
そのどれが欠けても、本来の大きさには育たない。
しかし最も困難なのは、運動の日課である。
しかしそれが不足すれば、絶対に健全には育たない。
動物園の狼が、なぜ大きくなれないのか?
それは決定的に運動不足だからである。
そして「心の躍動」も無いからである。
身体の躍動と共に、心の躍動も重大なのである。
心の躍動も、発育を大きく左右するのである。
そして太郎は、その巨体でありながら、
動きは閃光のように素速かった。
≪→→「02」に続く。≫
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:12:08 ≫