** 悲 願 **
 
この今生は、
肉体を纏っての特殊な学びだ。
肉体を纏うと、
学びというものが途端に難しくなる。
だが難しいからこそ、大きな学びになる。
肉体を纏うことは大きな意義を持つのである。
しかしその期間は限られている。
いつまでも続く訳ではない。
その特殊条件での学びを終えたら、
誰しも他界して新たな旅に入る。
また新たな学びの旅が始まるのである。
どこに他界するかは分からない。
どんな次元を旅するのかは分からない。
なにしろ大宇宙は無限に広いのだ。
さらに無限に次元が展開しているのだ。
だからもう、これは途轍もないスケールである。
「想像を絶している!」としか言いようがない。
だが一つだけ言えることがある。
この今生の学びの内容によって、
次の旅程が決っていくのである。
すべては、「学び」次第である。
今生では、肉体を纏った状態で、
その状態で「いかに慈悲に近づくか」が課題だが、
その到達レベルによって次の旅が決るのである。
 
もちろん、この自分にも次の旅が待ち受けている。
それは承知しているが、心からの悲願がある。
この地球の動物たちを人間の非道から護りたいのだ。
あまりにも理不尽な非道が跋扈しているから、
それをなんとしてでも、どうにかしたいのだ。
毎日毎日、目を覆うような悲劇が起こっている。
信じられないほどに残酷な悲劇が起こっている。
だが、この自分には、どうにもならない。
どうにかしたいが、なにしろ自分は非力すぎる。
もちろん、多くの人人が非道防止に尽力しているが、
それではとても追いつけないほどに非道が加速している。
 
だから私は、この今生で懸命に学び、
肉体を纏いながら懸命に学び、
そしていよいよ「魂」だけの姿になった時、
その学びの成果を存分に発揮したいと思うのだ。
すべての拘束から解き放たれた状態で、
縦横無尽に非道と闘いたいのだ。
非道を生み出す魔心と、徹底的に闘いたいのだ。
これまでの、悲劇の果てに死んだ命たちの弔いとして。
極限の苦痛と絶望を味わい続けた命たちの弔いとして。
そして金輪際そういう悲劇が起こらないようにするために。
そのために、徹底的に魔心と闘う。
真正面から魔心の正体を見据えて、彼らに思い知ってもらう。
たとえ仏に怒られても構わない。
たとえ次の旅が厳しい旅になっても構わない。
地球の魔心を、このまま放っておく訳にはいかない。
この自分の今生がいつ終わるかは分からないが、
終わり次第に、肉体を脱ぎ捨てた瞬間に、魔心に会いに行く。
その時までに、この今生で究極まで力を高めるのだ。
魔心どもよ、その日を待ってろ!!!
逃げるなよ!!!思い知れ!!!
おまえたちは、己自身で罪の重さを知るのだ!!!
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:11:28 ≫