<<犬の心の色>>
いろんな気性の犬がいる。
それぞれの「心の色」がある。
心の色は尊い個性である。
尊い個性だが、
生きていくに於いて、
その色だと生き難い場合もある。
犬同士の集団の中に於いても、
その色だと危険な場合もある。
致命的な重傷を負う場合もある。
もちろん人間との生活に於いても、
不都合が生じる場合がある。
不都合が重なり、ついに処分される場合もある。
だからそういった悲劇を避けなければならない。
それを避けるためには、
心の色を変えていかなければならない。
無理やり変えることなど、できない。
飼主が無理やり変えることなど、できないのだ。
犬の心の色が、「変わっていく」のである。
変わっていくように、飼主が導くのである。
これは、言葉では説明できない。
どこまでも「感覚」の領域である。
だからその感覚を磨くことが先決問題である。
その感覚の磨き方を、飼主自身で探すのである。
それは飼主自身にとっても、大きな学びとなる。
私は犬たちの心の色を観る。
明るい色。優しい色。強い色。烈しい色。
寂莫とした色。荒涼とした色。などなど。
いつも穏やかな色合いを保つ犬もいる。
一瞬に荒荒しい色合いになってしまう犬もいる。
とりわけ問題になるのは、
一瞬に荒荒しい色合いになってしまう犬である。
些細なきっかけで「怒」に入ってしまう犬である。
その犬に悪気は無いのだが、周囲が困るのである。
そしてゆくゆくは、自分自身が困ることになる。
たとえば犬たちの群れに於いて、
最初は皆が遠慮して距離を空ける。
怖くて距離を空けるのでは無く、
できる限りに闘争を避けるために空ける。
だがその配慮が通用しないとなれば、
いつか必ず「群れの掟」が発動される。
そこには「群れの存続」が賭かっているからである。
あるいは、それが対人の場合には、
飼主の堪忍袋の緒が切れて「処分」となってしまう。
だから結局は、自分自身が困ることになる。
だが、その犬自身では、どうにもならない。
その犬も、「困ったことになる」と感づいているのだが、
どうしていいのか分からないのである。
深い孤独の中で、葛藤に彷徨っているのである。
それはとても、可哀想な状態である。
本当はその犬自身が、一番苦しんでいるのである。
だからその犬を、葛藤から救わねばならない。
その犬の心の色が変わるように、導くのだ。
そのプロセスは、説明できない。
もちろん、「刺激」への耐性も高めていく。
だが、それだけでは無く、いろいろ試みる。
説明できないが、あえて言えば、「劇」を繰り広げる。
自分が役者になって劇を展開する。
だからその現場は、人には見せられない。
間違いなく「頭は大丈夫か?」と思われるだろう。
まあ、元から頭は大丈夫では無いのだが。
だがいつか、上手く映像にでも撮れたら公開しよう。
おそらく、きっと参考になるはずである。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:11:06 ≫