**犬の心の表現 (03)**
 
以下を「NO.537:NO.538」に補足する。
「NO.537」で言うところの「ボス」の説明と、
「NO.538」で言うところの「哀願」の説明である。
私はいつも短く圧縮して書いているので、
説明不足もあるかと思うので、今回は少し補足する。
 
≪「NO.537」≫
犬は、心から尊敬するボスに対しては、自然に服従します。
ボスの意向を尊重し、そしてボスを「心から慕う」のです。
決して媚を売るのではなく、純粋にリスペクトして慕うのです。
それが結果として服従という形になっているのです。
だからこれは人間の考えている服従とは、根本が違うのです。
だから飼主は、自分が「リスペクトされる存在」になればいいのですが、
それが理解できずに、ただ強制するだけの人が多いようです。
自分自身がボスとしての「あるべき姿」を、
不断に目指していくことが最も重大なのに、
一方的に犬に要求するだけの人が多いようです。
因みに犬たちは、犬世界での「ボス犬」を慕います。
ここで言うのは、「ボスの器量を持ったボス犬」です。
犬たちは、ボスが怖くて媚を売るのではありません。
ボスに対する「服従表明の表現」でもありません。
ただ純粋に尊敬し、ただ純粋に慕うのです。
もちろん服従表明の表現の場合もありますが、
そういう場合もありますが、そういう場合だけでは無いのです。
おそらくボス犬の心に隠された「覚悟」を感知するのでしょう。
ボス犬の「群れを護る覚悟」は、気高く崇高です。
それは途轍もなく大きなプレッシャーのはずですが、
ボス犬は黙してそれを克服していくのです。
その隠された心意気に、犬たちは感銘するのです。
我家にも代代、ボス犬がいましたが、
彼らは全員、犬たちに慕われていました。
それは言葉にできないほどに美しい光景でした。
犬たちの世界は、
決して「力関係」だけで成り立っている訳ではないのです。
人間が想像するような「支配と服従」とは異なるのです。
だいいち、その関係では、群れの存続が危ういでしょう。
群れの存続に不可欠の絶妙な連携は不可能となるでしょう。
彼らの連携は、もはや「テレパシー」の領域ですが、
その「純粋念交信」など不可能となるでしょう。
 
≪「NO.538」≫
ここで書いた「赦してください・・」というのは、
逃げ場を失った状態の犬が、例えば繋がれている犬が、
なおも暴力を止めない人間に対して表現する、
「最後の哀願の姿」です。
その最後の表現の前に、何度も犬は懇願したでしょう。
「どうか暴力を止めてください・・」と懇願したでしょう。
その果ての、最後の哀願の姿を、ここで書いたのです。
もはやその犬の命が懸かった状況だったのです。
だからこそ、その場でその犬を保護したのです。
過去に私は多くの飼主を見てきましたが、
その人間の「精神の傾向性」が、
決して簡単には変わらないことを知っています。
たとえば飼養怠慢な飼主に、どんなに真剣に助言しても、
その人の本心は耳を塞ぎ、同じ怠慢を繰り返す場合が多い。
そういう非情な飼主を、いっぱい見てきました。
深く自省して変革する精神の持主ならば、
たとえば無力な小犬の「哀願の姿」に対して、
なおも冷酷な虐待行為などできないはずなのです。
そこでそれが「できてしまう」ことが、精神の傾向性です。
よほどその傾向性が強烈だということでしょう。
ですから「傾向性レベル」を見極めることは、実に重大です。
その見極めができないと、さらなる惨劇が起こるでしょう。
それは悲劇の渦中の動物を見殺しにするということです。
延延と死ぬまで虐待される境遇に置くということです。
もし犬の心境を知ったなら、
多くの人は犬を見る目が変わると思いますが、
それを知った上でも、なおも冷酷行為のできる人がいるでしょう。
そういう人に飼われたら、犬にとってはまさしく悪夢です。
≪ →→「04」に続く ≫
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:10:22 ≫