**犬の心の表現 (02)**
このところ疲労気味である。
仕事も詰まっているので、
犬たちの世話や山行との両立が難しい。
これも修行だと心得ているが、
昔に較べて疲労回復が遅くなってきたようだ。
おそらく活動時間が長いのも原因だと思うが。
だが、どこまで行けるか、挑んでいこうと思う。
もうすぐこの山に酷寒期が訪れる。
そうなれば今の時期など比較にならない厳しさだ。
あの厳しさを想えば、今など余裕のはずなのだ。
少し気合が緩んでいたのかも知れない。
改めて気合を入れなおそう。
ところで今回のこの一連の記事は、
愛犬生活の初心者の人人に書いたものである。
ベテランの方方にとっては常識的な話であり、
その辺をここで改めて断っておこうと思う。
なぜ今回、こんな記事を書いたのかというと、
この自分が想像する以上に、
犬たちの表現に気付かない飼主が多いという実態を、
これまでの長きに亘って見てきたからである。
「気付かない人に飼われる」ということは、
犬にとっては本当に辛い生涯を意味する。
そういう辛い生涯を送る犬たちが一杯いるのだ。
昔、人里に降りて歩いていた時、犬の悲鳴を聞いた。
私は即座にその方向に急いだ。
ある家の庭先で男が飼犬の前に立っていた。
小さな犬が、男に「赦してください!!」と哀願していた。
だがその男は、容赦なく犬を蹴っ飛ばした。
犬は泣き、必死に哀願の意志を表明していた。
機を見極め、私は男に声を掛けた。
そのまま胸倉を掴んで糾弾しようと思ったが自制した。
事態のその後を要約すれば、私は男からその犬を買った。
そこでどんなに男を諭しても、
その男は必ず再び犬を虐待するだろうから、
そんな危険な境遇にその犬を置いておく訳にはいかない。
だからその犬を買ったのだ。
その金は、食糧などを買うつもりの金だった。
それを使うと、一週間は飯を食えなくなる。
だがそんなことは、どうでもよかった。
それでその犬を過酷な境遇から救えたのだから。
≪家の犬たちのフードのストックは常備してあった≫
その小さな雑種犬は、今も我家で元気満満である。
あれからもう12年になるが、
その子のあの哀願の姿を想い出すと切なくなる。
≪ →→「03」に続く ≫
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:10:19 ≫