**犬の心の表現 (01)**
 
犬は感性の塊りである。
そしてその心の機微は、全身に現われる。
鼻先から足先から尾先までの全身に現われる。
そして犬は、心境を全身で表現する。
全身で表現するが、特に「意志」は、
手(前肢)や上半身(前半身)で表現することが多い。
そこを使って、実にさまざまな意志表現をする。
< これについては、後ほど記そうと思う。>
飼主から感情表現を制限された犬は、
溢れる感情を自らに抑圧しているが、
表現の自由を許されている犬は、
驚くほど多様な表現を現わすのである。
 
感情が乏しいように見える犬でも、
置物のように無感情に見える犬でも、
飼主から表現を制限された果てに、
自ら心を封印した場合も多いのである。
だから実際には、
飼犬の本当の姿を知らない飼主が多いのである。
・・・・なんと悲しいことか・・・・
自らに心を封印して生きる生活の、なんと悲しいことか。
おそらく、犬の心を解放してしまうと、
飼主が犬を制御できなくなってしまうから、
だから早め早めに制限していくのであろう。
だがいつの間にか飼主は、
自分が飼犬の表現を制限していることを忘れて、
飼犬が自ら心を封印していることを知らずに、
「犬は感情が乏しい」と思い込むようになる。
「犬は人よりも感性が鈍い」と思い込むようになる。
 
我家の犬たちは、
自らの心を封印していない。
我家には厳しい掟もあるが、
厳粛な一面もあるのだが、
犬たちの心は萎縮していない。
彼らの心は空高く解放されている。
だから彼らは、実に多様な表現を見せてくれる。
思わず切なくなるほどに、
繊細な心の機微を見せてくれるのだ。
 
時として「解放」と「制御」は両立が難しいが、
個体によって個性によって、
雌雄によって犬種によって体格によって、
その難しさのレベルは千差万別になるが、
だが理想は「両立」であり、
それを目指して己を練磨していくしかない。
これはひとえに、飼主の実力に懸かってくるのである。
「ボスの器量」「洞察力」「技量」を鍛錬していけば、
解放と制御の両立は可能となるのである。
一般的には制御を優先すれば「飼い易く」なるが、
その反面、犬の心の実像は見えなくなっていく。
解放を重視すれば、一般的には「飼い難く」なっていく。
だから両立は想像以上に難しいのだが、
しかし、不可能ではないのである。
不断に目指せば、それは可能となるのである。
私は「犬の心の実像」を知ろうと思った。
しかし「家族の統制」は成立させねばならない。
だからその両立を目指して自分なりに努力した。
そしてかなりその目標に近づけたと感じている。
≪ →→「02」に続く ≫
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:10:18 ≫