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≪ 無 常 ≫
この世の全ては、変化を続ける。
一瞬一瞬に、変化を続ける。
なぜ変化するのかというと、
この世が「空:KUU」であるからだ。
「空」の説明はとても難しいが、
簡単に言えば「無限縁起」である。
この世は無限縁起で成り立つ。
そして無限縁起で無限変化する。
無限変化したものが、さらに無限縁起していく。
これを想えばこの世が、
いかに「とてつもない世の中」なのかが分かる。
この世は、想像を絶した世界なのである。
無常は、「無情」ではない。
無情と感じる人が多いようだが、
虚無感を感じる人も多いようだが、
実は無常は、その真逆である。
とてつもなくダイナミックな、
とてつもない大愛なのである。
無常を大きな勇気で受け止めれば、
その実像が実感できるはずである。
無常を理解するには、
無常を受け止めるには、
大きな勇気が必要なのである。
この世の全てが無限に変化していくことを、
大きな勇気で受け止めたとき、
その人の中の何かが劇的に変わる。
その人の生命力は飛躍的に高まるだろう。
もし「空」を「無常」を、
「所詮は全ては空虚なもの」などと解釈したなら、
その人の生命力は一気に急降下するだろう。
そのような解釈の人も多いのではないだろうか。
≪ 無 我 ≫
「無我」と聞くと、
「自分が無い」と解釈する人が多いだろう。
自分を消すことだと思うだろう。
自分の意志さえ否定されると思うだろう。
だが実は、その真逆である。
無我を理解するためには、
無我を受け入れるには、
強烈な「意志」が必要なのである。
もちろんここで言う意志とは、
自分勝手な我儘意識のことでは無い。
読んで字の如くの「意志」である。
強烈な「意志」が、無我への原動力なのである。
無我を誤解して、
ただ自分を消そうとしても、
それで表面上の「和」を期待しても、
それは到底無我にはならないし、
それは到底「和」にもならない。
ただ自分を殺すだけである。
自分の命の可能性を封印するだけである。
それは大宇宙の「空:KUU」への矛盾行為である。
無我というのは、
≪≪「空」を知ること:「空」を実感して生きること≫≫
≪≪自分が「無限縁起の中の存在」だと実感すること≫≫
≪≪自分が「単立では存在しない」ことを実感すること≫≫
≪≪全ての存在が存在意義を持つことを実感すること≫≫
≪≪全ての存在の尊厳が同等だと実感すること≫≫
この状態の心境地が「無我」なのである。
この状態であれば、必然的に協調が始まるのである。
協調が始まり、調和に向かっていくのである。
その中で最も難関がこの一行である。
≪≪全ての存在の尊厳が同等だと実感すること≫≫
頭で理解することはできるかも知れない。
だがこれを「実感」することは、かなり至難だろう。
だがもしこれを実感できたなら、大宇宙と一体になる。
その心は無限へと突き抜ける!!!!!
**一 念 無 辺 大 悲 空**
***南 無 華 厳 菩 薩 道***
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:10:03 ≫