<< 解 脱 >>
よく、カルマとか輪廻とか、
そのような言葉を目にする。
そのようなことに関心を抱く人が多いようだ。
ひたすら頭で考え続ける人が多いようだ。
そのことに頭を支配されてしまう人も多いようだ。
「解脱」を目指すはずなのに、
出口の無い迷路に彷徨ってしまう人が多いようだ。
私はたとえば、
過去世とか未来世に興味が湧かない。
「今」を見つめれば、全てが見えるからである。
この「今」に、全てが映り込んでいるからである。
全ての過去と、全ての未来が、
この「今」に映り込んでいるのである。
たとえば過去世で自分が王子だったからと言って、
たとえば過去世で自分が武士だったからと言って、
それを知ったからと言って、
いったいそれが何になるというのか??
それを知りたいと思う心境が、私には分からない。
なぜそんなに、知りたいのか??
知ってどうするのか??
そのような心境では、
解脱から遠ざかるだけだと思うのだが。
この「今」とは、「今の境遇」のことでは無い。
この「今」とは、「今の心の境地」ということである。
「今の心」に、全ての過去が映っている。
「今の心」に、全ての未来が映っている。
その心を覗き込めば、全てが見えるのである。
その心が、全てを物語っているのである。
全ての者が、一瞬で解脱できる。
心次第で、一瞬に解脱できるのである。
だから解脱は、実に簡単なのだ。
だが解脱は、至難中の至難である。
なぜなら、「本心」という条件だからだ。
それが「本心」でなければ、解脱に至らないのだ。
だから、難しいのである。
どんなに装っても、それは通用しないのである。
そしてまた、たとえば一度解脱したからといって、
ずっと解脱のままでいられると思ったら大間違いである。
人の心は、一瞬一瞬に揺れ動くからである。
だからつまり、一瞬一瞬に解脱を目指すことになる。
輪廻を超越するとか。カルマを解消するとか。
そういうことは、頭で考えていても不可能である。
ただ瞑想に浸っていても不可能である。
どんな「儀式」に頼っても不可能である。
儀式に頼っていたら、核心から遠ざかる。
ただただ、どこまでも「心次第」である。
だが心次第で、一瞬に解脱できる。
一瞬一瞬に目指していく。
一瞬一瞬に突き抜けていく。
一瞬一瞬に、解脱する。
一瞬一瞬に、未来が変わる。
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人間は強烈な「傾向性」を持っているので、
知らぬ間に大宇宙の摂理に背徳している。
だから常に己を戒めていかねばならない。
それくらい、その「傾向性」は強烈なのである。
この懺悔文(さんげもん)は、それに対する経文である。
<懺悔文:華厳経入不思議解脱境界抜粋>
≪≪ 懺 悔 文 ≫≫
我 昔 所 造 諸 悪 業 皆 由 無 始 貪 瞋 癡
従 身 語 意 之 所 生 一 切 我 今 皆 懺 悔
::がしゃくしょぞうしょあくごう::
::かいゆむしとんじんち::
::じゅうしんごいししょしょう::
::いっさいがこんかいさんげ::
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■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:09:14 ≫