<< 動物の立場 02 >>
 
人間社会で生きる動物に、立場はあるのか。
立場など、無いに等しいだろう。
立場の無いままに、一生を終えるのである。
どんなに人間に誠意を尽くしても。
どんなに人間に貢献しても。
命さえも捧げても。
社会は動物の立場を認めない。
社会は動物の尊厳を認めない。
 
三月の東日本大震災で、
無数の動物が生き地獄の果てに死んだ。
国政を非難する愛護派も多いようだが、
国政にも問題はあると思うが、
それは日本社会を反映したものだと思う。
日本社会全体が、そうであったのだと思う。
もし国政が必死に動物を救護したら、どうなっていたか。
世間から大非難を浴びた可能性が強いと思う。
「動物ごときに、なんで血税を使うんだ!」
「人間が優先だろう!動物なんか放っておけ!」
このような抗議が津波の如く押し寄せただろう。
そのような世間感情を予測できるから、
だから動物救護など後手後手になる運命だったと思う。
マスコミに於いても、全く同じ構図だろう。
「この緊急時に、動物のことなんか放送してんじゃねえ!」
という抗議が嵐のように押し寄せただろう。
国政もマスコミも、所詮は世間には敵わないのである。
彼らはそれを、今や知っているのである。
あるいは国政やマスコミや世間は、
こと動物に対する意識に於いては、
ほとんど似たり寄ったりだったのだろう。
そこに関しては、意見が一致していたのであろう。
 
どこかで、こんな言葉を聞いた。
動物救護活動に対する罵倒である。
「動物なんか助けてんじゃねえよ!」
「人間様が一番偉いんだよ!」
「被災地の邪魔すんじゃねえよ!」
実際には大半の人人が、このような本音ではないだろうか。
もし世間がこのような本音であれば、
動物など助けられるはずが無いのである。
助けようと思えば、世間から非難を浴びるのである。
だが、それを承知で活動する人人がいた。
世間から罵声を浴びながらも。
 
ところで被災地では、
飼主不明の被災犬が多かったと思う。
それは状況からすれば当然の話だと思う。
だが世間は「とにかく飼主を探して飼主に戻せ!」と要求した。
あたかも「所有者への所有物返還!」のような感覚で。
だが果たして、それが最善策だっただろうか。
なにしろ日本国では平時でさえ飼育放棄に満ちている。
飼主の誰もが心から犬を愛育しているとは限らない。
もしも冷酷な飼主の元に押し戻されてしまった犬がいたとしたら、
その返還は逆に悲劇だったと思う。
犬は純情だから喜びを現わしただろうが、
心の底では言い知れぬ不安に慄いていただろう。
だが世間は、そんなことにはお構い無しだっただろう。
「とにかく飼主に犬を戻せ!」と救護活動家に迫ったのである。
そのような話もどこかで目にしたが、
救護家はおそらく、心中涙ながらに応じたのだと思う。
日本社会は動物の立場を想うよりも、
社会的常識とやらを重んじるらしい。
それが日本国人間社会の美徳なのだろう。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:08:31 ≫