<< 経 済 動 物 >>
 
経済動物という言葉がある。
人間の利益のための動物のようである。
経済に於いては製品であり商品のようである。
たとえば家畜がそうだろう。
家禽も豚も乳牛も肉牛も、そうだろう。
そこから金が生まれるのである。
動物が、金に変わるのである。
動物が人間に利益を与えているのである。
人間は彼らに、莫大な恩義があるはずである。
 
その恩義を、社会は感じているだろうか。
動物たちが、その生涯を犠牲にして、
人間に利益を与えてくれたことに対して、
社会はどれほど恩義を感じているだろうか。
到底、感じているようには思えないのだが。
もし恩義を感じているならば、
その気持ちは飼養方法に現れるはずなのだが。
その動物が生まれてから殺されるまでに亘って、
できる限りの配慮が成されるはずなのだが。
だが現実には、効率化の追求である。
いかに安く飼養するかを追求するのである。
安く造って、安く売る。
安く売って、世間に喜ばれる。
人人は「安いね!!嬉しいね!!」と喜ぶ。
だが安く飼養された動物の生涯は、過酷極まる。
辛い辛い毎日である。
生まれてから死ぬまで、ずっとずっと辛い毎日である。
そして死ぬ時は、恐怖と絶望の中で死ぬ。
世界中のどんな人間も耐えられない生涯である。
知性を誇る人間が、文化を誇る人間が、
そんな横暴を続けていいのだろうか。
そんな横暴を続けてさえ、知性や文化を自慢できるのか。
人間が「俺たちは地球上で一番野蛮だぜ!!」
と宣言するなら、その横暴も納得できるが。
 
いったい人間は、どっちなのだろう。
知性に溢れた文化人なのか。
それとも、横暴な野蛮人なのか。
それとも、その両方が人間なのか?
人間はつまり、ジキルとハイドなのか?
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:08:13 ≫