<< 犬 族 感 覚 >>
 
私はよく犬舎で寝る。
標高1300mの森の中の犬舎で。
真冬は零下20度の白銀世界だから難しい。
だが冬期以外には、犬舎で寝る日も多い。
犬たちの犬舎はいくつかに分かれているが、
「悍:カン」の犬舎が大きいので、主にそこで寝る。
そこを中心に、ほかの犬たちが取り囲んでいる形だ。
それはフェンス犬舎なので、そのまま周囲が見える。
テントと違って、そのまま夜空も眺められる。
森の夜を、存分に味わうことができるのである。
もちろん、辺りには誰一人いない。
ここには人間の気配は全く無いのである。
私と犬たちと山の命たちの世界である。
 
昼間には、昼間の森がある。
そして夜には、夜の森がある。
もちろん昼間も素晴らしいが、
夜の森は、また格別である。
蒼い闇の夜の森に、無言の対話が隠されている。
無言の対話の夜の森は、まさしく別世界である。
蒼い闇の中で、私と犬たちはひとつになっている。
沈黙の中でも、誰が何を想っているのかが分かる。
静寂の夜だが、いろんなことが起こる。
あちらこちらで、ラップ音が鳴ったり。
重い羽ばたきの音と同時に、空気が振動したり。
真夜中に、小鳥の声がずっと頭上を飛び回ったり。
大きな光が現れたり。小さな光が現れたり。
そして山の動物が、だんだん近づいて来たり。
枝を踏む気配が、だんだん近づいて来たり。
なにしろ、いろんなことが起こるのである。
犬たちは寝ていながら、寝ていない。
眠っていながら、眠っていない。
何かの気配が近づけば、即座に集中するのである。
たとえ寝ている態勢でも、その気配に傾注しているのである。
真っ暗闇の中でも、犬たちの様子はありありと分かる。
誰がどういう心境であるかも、ありありと分かる。
 
沈静の中の無言の対話。
そういう時間を持つことが、とても大事である。
それは犬との生活に於いて、とても肝心なのである。
私は昼間はいろんな調子の声を使って表現するが、
<その光景を見たら人は「???」と思うだろうが>
そういった表現対話とともに、無言対話も必要である。
対話には、実にさまざまな形がある。
さまざまな形の対話を臨機応変に使い分ける。
そしてまた無言対話の時間も必要なのである。
だがいずれにしても対話とは、目には見えない領域だ。
この「目には見えない領域」が、実に重大なのである。
犬はその領域に暮らしていると言っても過言ではないのだ。
ただ目に見える領域だけで終始する毎日では、
犬族の犬感覚はなかなか分からずに終わってしまう。
人間感覚で犬を分析することになってしまう。
人間感覚で犬を判断することになってしまう。
目に見えない領域に目を向けることが重大なのである。
その視座が無ければ、犬を誤解することになってしまう。
犬との対話を最も簡単に言えば、
「犬の感覚に入る」ということである。
犬の感覚の世界に入る」ということである。
犬の感覚は、人間の感覚とは違う。
ここで言う感覚とは、五感のことではない。
視覚とか聴覚とか嗅覚のことを言っているのではない。
ここでは感性の領域のことを言っている。
感受性とか情緒とか精神性のことである。
つまり犬族の精神世界のことである。
そこに入り、自らもその感覚を知るということである。
そこに入り、その感覚で共感することが重大である。
それが犬と対話するということである。
そしてその対話を深化させていくのである。
ただ飼養管理に配慮するだけでなく、
ただ医学的健康管理に配慮するだけでなく、
ただ社会化躾訓練に配慮するだけでなく、
ただ技術操作で犬を制御するだけでなく、
ただ「おやつ」「ご褒美」で可愛がるだけでなく、
そういう具体的な部分だけが全てだと勘違いせずに、
そこからいよいよ「次の領域」を目指さねばならない。
そこから先が、いよいよ本番なのである。
そこから先が、いよいよ深奥の世界なのである。
 
犬族の感覚に入り深く対話することによって、
犬たちの心境が分かるようになる。
犬たちの個性が分かるようになる。
犬たちの行動の理由が分かるようになる。
犬たちの個性に応じた教導ができるようになる。
群れに隠された、見えない気配が見えるようになる。
そこに潜む暗黙の間合いや、
暗黙の遠慮や暗黙の均衡なども、見えるようになる。
そこに潜む不安や警戒や衝突予兆も、見えるようになる。
起こり得るアクシデントを、最小限に予防できるようになる。
そしてまた深く対話することにより、
犬が導師を求めていることが分かるようになる。
飼主とは、主人であり親であり導師である。
犬は導師である主人を心から尊敬したいのである。
そのような導師を目指すことが主人の使命である。
犬は導師を心から慕い、心から尊敬するのである。
犬は、主人の「成長」が、とても嬉しい。
主人の精神成長が、犬にとっての喜びであるのだ。
犬には、主人の精神成長が分かるのである。
犬は実に敏感に、それを察知するのである。
主人の精神成長は、犬の無上の喜びなのである。
主人が成長すると、犬もまた新たな一面を現わす。
主人の成長に感応して、犬もまた変わっていく。
そうして主人と犬は、共に成長していくのである。
 
■南無華厳 狼山道院■
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