■■華厳菩薩道心経大意■■
≪ 狼の山の魂「NO:497」の大意 ≫
**心経とは核心を凝縮した経の意**
なにしろこれは、元は「宇宙語」なので、
人間の感覚の領域を、はるかに超えている。
本来なら、言葉にはできない領域だろう。
ましてや私の文章力では到底表現できない。
だがしかし、大意として言葉で書いてみた。
卍 狼 山 華 厳 道 院 卍
<<<< 無 上 真 覚 >>>>
香を焚き、心を鎮める。
持戒の香。禅定の香。解脱の香。
慈悲の雲に、光が降りそそぐ。
無辺世界のあらゆる佛を一心に敬礼する。
今ここに、深静寂滅の真覚世界が現れる。
無辺世界過去現在未来の全ての佛たちを、
清浄身清浄語清浄意を以って全霊で敬礼する。
普賢菩薩行願の威神力を以って、我は全ての佛の前に現れる。
この一身に無数の身を現じ、そのそれぞれの身を以って、
我は無数の極微塵世界の佛に敬礼する。
それぞれの極微塵世界に佛がいらっしゃる。
そしてそのそれぞれの極微塵世界で、
佛は佛子たちの真ん中に坐っていらっしゃる。
この全宇宙に、佛が満ち満ちている。
この全宇宙の全世界に佛が満ち満ちている。
我は全宇宙全世界の佛を一心に深信する。
我は普賢菩薩行願の力で全ての佛を敬礼供養する。
我が昔の悪業は、貪欲と無知と憎悪が引き起こした。
我が意識と言葉と行動が生んだ悪業を、今ここに懺悔する。
今ここに全てを懺悔し、清浄なる身語意で佛を敬礼供養する。
我は一心に願う。
過去現在未来の全ての佛に学び、
速やかに覚りを成就せんことを。
そしてその覚りの力を以って我は行願する。
全宇宙全世界が、清らかに美しく荘厳されることを。
我は佛の真義を胸に刻み、
未来永劫に亘り普賢菩薩道を究めていきたい。
全宇宙全世界が佛の光に荘厳されることを願い、
全宇宙全世界に真理の妙法の輪を広げ続けたい。
我は一瞬に、佛の無限の説法の海に入る。
我は一瞬に、全ての過去現在未来に入る。
我は一瞬に、あらゆる佛を見る。
我は一瞬に、あらゆる佛の境界の中に入る。
我は一瞬に、あらゆる全ての極微塵世界に入る。
我は一瞬の中に見る。
佛が涅槃を示現する光景を。
佛があらゆる命たちを導く光景を。
我は誓願する。
神通力により。大乗力により。
功徳力により。大慈力により。
福徳力により。智慧力により。
禅定と大いなる智慧と臨機応変の力により。
そして全身全霊の覚りの積み重ねにより。
一切の業を清浄ならしめ、
一切の煩悩を消滅させ、
一切の魔力を無力にし、
我は普賢菩薩道を成し遂げる。
我は誓願する。
それぞれの世界の海を清め。
あらゆる衆生の海を解脱させ。
もろもろの事象の海を洞察し。
大いなる智慧の海に深く潜り。
行いの海を清め。願いの海を満たし。
我はその佛の海を供養しながら、
果てしなく続く修行に精進する。
三世の佛の無上の真覚行を敬礼供養し、
我もまた普賢菩薩道で真覚を成し遂げる。
心は巧みな画家のように、
あらゆることを自在に描く。
心の如くに、佛もまたそうである。
佛の如くに、命もまたそうである。
心と佛と命とは、まったく別無く同じである。
佛たちは真相を知っている。
この世の全ては、心から生まれるものだと。
心が行動を生み、行動が現象を生み出す。
つまりこの世の現象の全ては、心を母体とする。
もし人もまたそのように理解できたならば、
その人は真の佛を見たこととなる。
心は肉体では無く、肉体もまた心では無いが、
真相を理解できた人に於いては、
心身が一体となって一切の佛行を成す。
未だかつてないほどに自在に佛行を成す。
もし過去現在未来の佛を知りたいと望むなら、
もし無辺無量無限世界の佛を知りたいと望むなら、
このように観ずることである。
心が佛を生むのだと。
この世の全てを、心が生み出すのだと。
**** 一 切 従 心 転 ****
一瞬の中に、永遠の華厳世界を念じる。
一瞬の中に、無辺の大悲世界を念じる。
一心で華厳菩薩道に生きる。
一心を華厳大悲界に捧げる。
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華厳経には、旧訳と新訳と四十華厳がある。
「普賢行願讃」は四十華厳にある。
四十華厳は、最後に訳された華厳である。
唐代中国で、梵語の原典から訳出された。
795年から798年までを訳出に要した。
経典の訳出は、当時の国家事業であった。
訳出責任者には、「般若三蔵」が任命された。
般若三蔵は中央アジアに生まれ、長くインドで修行し、
そして中国に渡って「三蔵法師」の称号を戴く高僧となった。
般若三蔵は、「弘法大師空海」の先生でもあった。
空海が遣唐使として留学した時の先生である。
般若三蔵からは主に梵語を学んだようだが、
もちろん華厳も学んだはずである。
もう一人の先生は、中国密教師「恵果」である。
恵果の師は「不空三蔵」であるが、
恵果と般若三蔵は、不空門下の兄弟弟子である。
不空三蔵も「普賢菩薩行願讃」を訳出したが、
それは般若三蔵訳とは異なる形の訳出である。
般若三蔵は並外れた語学感覚を持っていたという。
その類稀なる語学感覚と仏教感覚で、
華厳の本義を精確に表現する難業に挑んだ。
なお中国華厳宗第四祖「清涼大師澄観」も訳出に協同した。
この経の中の「懺悔文」は、いろんな宗門で唱えられている。
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「華厳唯心経」は旧訳:新訳に説かれている。
「地獄の門を打ち破る経」と呼ばれている。
「摩訶不思議な経」と呼ばれている。
「宇宙の経」と呼ばれている。
さまざまな宗門に大きな影響を与えた経である。
華厳経の、まさにハイライトである。
***<<< 一 切 従 心 転 >>>***
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≪ 2011:07:19 ≫