<< 森 の 猪 >>
猪の「ヌタ場:泥浴場」が大きくなった。
すぐ隣に、小さな窪みも出来た。
子猪が浴びた窪みだろうか。
母子で並んで浴びている気がする。
そして多分、他の子は順番を待っていると思う。
子供は何頭かいるはずなのである。
野生の子供は、
そういうところが、しっかりと律儀である。
待つ時は待つとか。
静かにする時は静かにするとか。
隊列を乱さないとか。
必死で着いて行くとか。
そういう辺りが実に健気である。
そこに生死が懸かっているからだろうか。
家族の存亡が懸かっているからだろうか。
そういうことを本能で直感しているのだろうか。
だとしても、その子供心は健気で泣けてくる。
そうやって生まれた時から死ぬまで、
ずっとずっと必死に懸命に生きていくのだろう。
猪だけでなく。
熊も。狐も。カモシカも。フクロウも。
山のすべての命たちが。
そのすべての一頭一頭に、
荘厳なドラマが隠されていることを、
いつもいつも痛切に感じている。


猪家族は、
我我の様子を、じっと聴いている。
いつも興味深く聴いている。
森の奥から、我我の棲家の方角を眺めながら。
彼らは我我(私と犬たち)のことを、
ほとんど警戒していない。
もはや我我のことを知っているのである。
我我の気配や我我の心模様を知っているのである。
かといって、無礼講にはならない。
暗黙の間合いは心得ているのである。
そこら辺を子供たちも、
きっと母猪から教えられるのであろう。
母からの教えを守っているのであろう。
その情景が浮かんでくる。
子猪の健気な幼心に泣けてくる。
子を想う母猪の愛情に泣けてくる。
犬たちもまた、
猪家族の棲家を知っているようだ。
だが犬たちも、全く自然体である。
そして暗黙の間合いを心得ている。
その間合いはおそらく、
私の想像を超えて絶妙なものだろう。
猪たちも犬たちも、
それが自然体でできるようだが、
それは凄いことだと思うのである。
≪南無華厳 狼山道院≫
::2011:06:26::